10月2日(水)一応考えたよっ!つうアリバイでも作っておこうか

 雨のち曇り、夕方陽射し。21℃〜26℃。台風の余波で荒れた雲行き。ちょと湿度高し。




 強弱の逆転:

 食物連鎖の頂点は下位の被食者がいないと生きていけないが、下位の被食者は食物連鎖の頂点などいない方がイイ。

 奴隷は君主がいなくても生きていけるが、君主は奴隷がいないと生きていけない。(ニーチェ

 自然は人間がいなくても繁栄できるが、人間は自然無くして生きていくことがでけないんだっ。






 エコ?

 エコロジイーとは生態学のことでヘッケル博士が命名しますただ。最近ではそれが拡大して「生態系を保つ運動」のことを指します。すかす、この運動にもシャロー(浅い)なのとディープ(深い)のがありまふ。ディープの方はノルウエーの哲学者アルネ・ネスが主導した運動で、従来の人間の為に自然を保護するという浅いエコロジーから180℃転換した自然中心の運動です。

 このアルネ・ネスさんはぼくが多分一番尊敬してる人かもしれない。ノルウエーの海運王の一族ですが、生涯簡素な生活を貫き通しました。東洋で言へば清貧ですかねぇ。

 そもそも環境運動というのは環境汚染や資源枯渇に対して先進国が今の生活を保とうとして、制度や規制などで技術的な解決を図ろうとしたもので、温暖化対策などもその一つですね。しかしイロエロな議定書は国のエゴにより実施されておりませんですぅ。そもそも温暖化ガスを目の敵にしたって世界経済が成長を続けエネルギーをがぶ飲みしている限り原理的に少なくなるはずがナインれすぅ。

 そこでディープ・エコロジーでは人間のためのエコロジーではなくして、自然環境全体(全ての生命体も)を健全に保つべく、人間もその一要素と考え、人間生活そのものを自然にマッチさせるという提案でした。環境悪化はもう既に制度的、技術的な手段では解決不可能と考えて、自然と人間との関係において特に先進国の人の意識変革と生活スタイルの転換を求めるものです。

 しかし人間は一度手に入れた生活レベルをそう簡単には手放しませんし、後進国はその生活レベルを追い求めます。豊かさ、喜び、満足を物質的な物で満たそうとする欲求はモットモット、もっともっとと充足を知りません。欲求が自分に向かう為です。

 人が喜ぶのを見て喜び、人が満足しているのを見て満足するこころ、美しい自然を見て充足し色々な生命活動の神秘を体感すること。多様性と共生に基づいて、生態系の全ての構成員の有機的なネットワークが地球環境全体を構成しているという覚醒。全ての生命圏的要素は平等であると言う理想主義。などがごっちゃになっていま一つ盛り上がりに欠けるのが欠点だす。

 然り然して、地球環境は限りなく破滅に向かっているんですね。皆は薄っすらと感じてはいるんですが、見ないようにし考えないようにし、目先の競争にあくせくすると。ああ、これも一つの必然なんですかねえ。この問題には塞翁が馬はいないような気がします。ダハハハ