6月30日(日)神を捨てた途端に言葉は空しくなると

 うす晴れ。22℃〜27℃。南の風やや強し。

 なんか一日中ねむくって、頭に霧がかかっている状態。早くも夏バテ?



 自己言及のループ:哲学的基礎の考察

 そもそも哲学ってのは存在とか認識とかを言葉を使って解き明かしていく試みなんすが、その言葉自体が曖昧なんでもっと厳密化しようよという方向に向かいました。言葉でもって言葉を探るというのは本質的に自己ループの構造なんすね。ツールをツールで分析でけるのかっ?視覚で世界を観察することはできまふ。でも視覚の元である自分の眼球は自分では見えません。一旦、他者の視点に立って外から撮影するなど客観化しなければならないからです。

 主観(自分の痛みや色々な感覚質)も同様に主観のままでは観察の対象化がでけません。言葉や絵画、音楽などで一旦外部化しないと分析でけないのれすぅ。即ち、外部化した途端に真の主観ではなくなってしまいます。自分の痛みや自分が見ている色や音を主観の檻から解放でけない由縁です。つうことでそもそもの主観には届かないと知りつつ、主観モドキに永遠に漸近し続ける試みが哲学と言へるのかもしれません。


 んじゃ、どないせーっちゅんじゃい!言葉を捨てるか、自分を捨てて世界から自己を開かせるっちゅう、相即の理しかねーんじゃね?自分(主観?)に拘っていては永遠の自己ループに嵌まるのみ。実証学だって往々間違えるんですから、頭の中でひねくり回している学問に正解なんぞがある筈もあーりまへん。だから最後は「あなたはそーおもうんですね。でもぼくはそーは思えない!」となってゴマンと哲学が生まれるんす。「う〜ん、あいつの考え方は好きだな、でもこいつのは性に合わない。」となってしまうと、好き嫌いかYOー!!!信仰まであと一歩。ダハハ









 池田清彦氏がおとろしいことをゆーている:

 健康寿命ってのがあって、これは自立して生活できる限度をいう。平均寿命は生きてる限度。これが2012年の報告だと、
男性;79.59歳(平均寿命)、70.42歳(健康寿命)、その差9.17歳
女性;86.35歳(平均寿命)、73.62歳(健康寿命)、その差12.73歳

 つまり男性は9年以上、女性は13年ちかくも車椅子や介護される生活を送らねばならんとか。みなさん今の内から使って増やそう筋肉貯筋をしておきましょうね。 っと、「貯筋」でこの日記を検索したら2年前のエントリがありますた。ダハッ
http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20110807
諸君も厳しい現実から目を逸らさんようにね。アハハ
(注:各年代毎の平均余命、健康余命、ってのもあるんだけど、これは年代が上に行くほど長生きする。って長く生きてたんだからシブトクなって当たり前か。)






 一昨日の朝まで生テレビの録画を見る。荻上チキがおもすろい。このしととはネットの何処かですれ違ったような希ガス。生活のしとがアホみたいでカワイソす。ども。