6月5日(水)ものごとの実体は、ノードにあるのかネットの繋がりの中にあるのか

 晴れ。20℃〜26℃でちょっと蒸し蒸し。午後に入り南寄りの風やや強し。



 人間の本質は人の繋がりの中にあると多くの賢人は言っています。人は何を美しいと感じ、何を醜いと思うかに価値観が滲み出ます。大多数の人は我利我利の金儲けで欲張りは嫌います。一方、自分の身を危険に曝しても子供を救う行為は美しいと思うでしょう。これが孤独な捕食者だったらその感じ方は逆転するでしょうね?

 「何一つとして独立に存在するものはない」という無我説は我すなわち永遠に変わらない実体というものを否定し、絶えず変化する現象の奥に真実はあると主張する。これを縁起と言ひ、ものごとは繋がりの連鎖の中にこそ生起すると言います。言い換えれば、周囲の人々の助けがあって人ははじめて成功するのだっ!という「おかげさまで」の思想として結実しましたのだ。新市場主義者の「成功は偏に自分の才覚の結果であり、努力や才覚の無い者は下層でも仕方がない」という自己責任論とは雲泥の違いがあることが分かるでしょう。

 元々西洋の思想は「人間は神の似姿である」という独善的な似神論に毒され、「神は自らを助くるものを助く」と突き放し、個人主義に極端に傾いてしまった。あのダーウィンの進化論でさえ、強いものが勝ち弱い者は滅びる、環境に最も適応したもののみが栄えるのだっ!と言ふ「適者生存論」を唱えている。それに対するに我が日本の今西錦司先生は、「いやいや強いものが生き残るのではありません。弱いものでもそれぞれのニッチで住分ければ平和に共存できるのです」という多種住み分け論を主張した。弱肉強食の自然淘汰論では思いも付かない思想です。これ即ち縁起の思想ではあるまいか。


 第一、「成功は皆さんのおかげです。ありがとうございます」と言ってる人の方がその成功が継続すると思いますよね。無駄に足を引っ張られず、逆に影に日向に援助が集まるんですから。皆さんも西欧思想の影の部分には十分に注意しませう!(いや、良いところもたくさんあるのを認めた上ですが)ンジャ





 打鍵ミスの考察:
 わたしのようなディジタル弱者はよくキー入力でミスを犯します。その都度振り返ってみると、すぐ隣のキーに打ち間違えたってことは少ないのですね。まったく違った箇所を打っている。すぐ隣のキーに打ち間違えたってえのは物凄く速くブラインドで入力できる入力巧者のミスです。つらつらわが身を顧みて反省するに、これは余りにも打鍵が遅いので思考が指の運動を追い越して次に来るべきキーを指図しているようです。「できます」が「でみます」みたいに。思考を遅らすべきか、運指を訓練すべきか、迷うところです。ドモ