4月28日(日)真に強いものにしか寛容は似合わない

 快晴。12℃〜19℃。爽やかな緑に誘われて、自転車で走り回る。頬に当たる風が心地よい。ああ、こんな日もありき。




 寛容と固執というのも文化と密接に係わり合っています。古代ローマがあれだけの大帝国になったのも異民族への寛容な政策があったから。一方、臥薪嘗胆で恨みに固執する文化もあります。個人でも恨み嫉みに固執する性格は、結局その人も不幸にしてしまう例も多いですね。死刑が統計的に犯罪抑止に効果が無いということは分かっている。しかし遺族の応報感情は癒されないと。でも日本は原爆投下や都市への無差別爆撃の悲劇は2度と起きてはならないと思ってはいるが、アメリカへの応報に固執してはいない。そこが中国や韓国と違うところかな。恨みつらみは水に流し前だけを向いて歩いてゆこう、というのは民族性としてとても良いところだとおもいます。敢えて他国の挑発に乗り、相手と同じ心性になってどないするねん!ちゅう気も致しまするねィ。
 砂浜に書かれた文字は波に洗われてすぐ消えてしまいまふ。石に刻んだ文字は何時までも残ると。その辺が海洋民と大陸民の違いなのかもねぇ。それに豊かな自然に囲まれた日本は、地震、雷、火事、水害と自然災害が多いですから災厄は水に流さねば生きてはゆけない心性なのれすね。んじゃ、死刑はもう廃止しようかねィ?ドヤロ?







 う〜ん。「しかし悪い奴ほどよく眠る」とか「我が儘勝手な奴ほど長生きする」って経験的な事実もありまふねィ。あんましイイ人ぶって、周りに気を使いながら生きてると「神に愛されし者は早逝する」になっちゃいます。この辺が人生の裏腹ですね。シッダルタのような捨身飼虎とか、ジーザスのようにすべての罪を一身に引き受けるとか千年に1度の聖人は出ますが、大部分の人は牛や羊を頃して食ってもなんの痛痒も感じません。況や原爆投下のトルーマンをや。漏れだって魚の活き作りなんかを「うましうまし」と食ってるもんねィ。おお、アジくんよ、きみは如何ばかり苦しんだことかっ!なんてぜーんぜん思わんもんねぇ。生物、いや少なくとも脊椎動物の連続性を考えれば、魚をはじめ生きとし生きるものはみんな苦しんでいるんです。ドヤロ?