3月14日(木)もっとデカイこと考えてみた

 朝まで雨、曇り後晴れ。一転気温10℃に届かずさぶい。がっ、花粉多し。河津桜が満開。ソメイヨシノは?そりは都心ならば靖国の森で観察するしかねーわな。プ でもかなーり早まりそーな予感。ことしの花見の宴は設定が難しそうです。



 もしも仮に万が一、世界政府といふのができたとしたら、そりはどんな道筋を辿るのでせうかっ!



 民族とか階級とか文化とかを残して、一国多制度のアナロジーで何とか漸近でけるんではないでせうか?多様な場を作って、その中をコンテンツ(人材、お金、文化、色んなソフトなどなど)が流れると。WBCを見てて単純ながらそーおもた。スポーツ興行の世界では国とか民族とかはあんまし意味ないですよね。ある興業システムの中に世界中から才能のある個人が集まってチームが覇を競うと。サッカーを始めバスケット、野球、ゴルフなどなどみんなそうでーす。巨大科学プロジェクトもそーかもしれない。芸術面でもオーケストラやバレーなどたくさんありまふ。経済面ではグローバル企業が世界的に人材の流動化を図っていまふ。つう意味では国は無意味化するのんか?







 こふいふ見地に立って、国家や地域共同体の存在意義を考えてミルのも思考実験(ヴァーチャル・シミュレーション)としてはおもすろいかも知れんねえ。今日は問いを立てたままで投げ出しまふ。なにせ対象がデカ杉で、とても1時間ぢゃ答えを出せんわな。ホゲ










 本件、継続して考えるかも(興味が継続してればね)。しかし斯様な設問は一人では堂々巡り。しばらく読書して他者の考えを収集せねば進みません。って、思うでしょ?でもそれだけでもダメなんす。そんなに簡単ならとっくの昔に目途は付いてまふ。今後数多の試行錯誤と数多の災厄、数多の勇気と数多の叡智、それにも増して数多の愚鈍で怠惰な生活を経て、初めて少し近づくくらいの途轍もない目標ってことくらいは微かに実感できますのだ。