11月1日(木)この世界に、不条理は遍在する

 白っぽい晴れ。11℃〜21℃。遠方霞む。ハロウィンと共に霜月になだれ込む。ハロウィンって西欧のお盆?



 文法は文化だあ:
 日本語は品詞の順序も冠詞も名詞の性もないまことに自由な言語です。文脈依存性が高いのは規則より実用ってとこがつおいから。それでいろんな外来語を柔軟に取り込んで育ってきますただ。
 名詞の動詞化:津田る、接頭語の動詞化:Disる、など「る」を付けて何でも動詞化。
 BE動詞的多様性:ある、です、いる、おる、になるなどイロエロ。特徴的には生命存在の「いる」と物質存在の「ある」の区別ですね。生きているのならウィルスでも「いる」、蝉の抜け殻は「ある」。あと主語を述語が限定する「です、ます、である」などの繋辞(けいじ)的使い方もありまふ。
 自動詞の他動詞的使い方:これも多い!It rains.→I was rained yesterday by it.なんて受動態は英語にはないよね?でも日本語にはありまふ。私は昨日雨に降られた、くっそー!。あと、泣く、逃げる、居るなどの自動詞は容易に受け身を取れまする。これは「迷惑の受け身」などと揶揄する人もおりまする。泣いたりする人を泣かせた行為をした人の身になって感情移入した結果、「泣かれた」と表現しまふ。ふむ、「死なれてしまった」の方が被害感情がつおいかな?なんでもれを独りで置き去りにしたんだあ!とか。主体、客体、その双方と渾然一体となった感情空間が為せる業。感情移入過多症候群が言語の曖昧さを増大させているのかえ?でも理屈っぽいよりかイイよね。日本人としては物のあわれの思いやりっと。
 「ある」と「いる」の生命観じゃないけど、「生みたて」、「生まれたて」も微妙なところ。ポンッと出てきた卵は「生みたて」、おぎゃーと出てきた赤ちゃんは「生まれたて」。生まれたての卵とか、生みたての赤さんとかはあんましゆいません。これも主体、客体のどっちに感情移入するかの問題です。それではお母さんのお腹から成体と同じ形でぞろぞろと出てくるダンゴ虫の赤ちゃんはどっちなんだらうか?わたしに言わせれば、それは「生まれたてのほやほやの子だんご虫」ですねィ。う〜む、民族の内心にまで立ち至る文法って、とても深いですねぇ♪ども。





 く、くっちょー!pretendに主審負けるぅ!デッドボールでバッター出塁、ピッチャー危険球で退場!ビデオで見たら全く当たってなくて危険球でもな〜い。でもこれがスポーツっ!この世の縮図を体現しているのだああああああ!!!!!!しかも、またヒット打ったああああああ〜!悪役ここに極まれり!

ど、ども。ちょと亢奮し杉たか。ナムナム


 いや〜〜〜、スポーツってええですねぇ。リアル生活空間でこんなんやられたら血を見るどっ!