10月31日(水)冥界は夢に非ず、リアルな現実なり

 晴れ晴れ。12℃〜18℃。ま、一番いい気候なんでしょうね。まん丸でちょと赤っぽい月がゆったりと昇ってきました。ああ、今日で神無月もお終いです。



 経験論者の唯一の弱みは、人間にとっての最重要関心事@自分の死っていふのがどーやっても経験できないことですね。経験したときには既に氏んでマスカラ。ま、臨死って似非体験は無いとは言えんけど、これは死ではないし。但し、他人の氏なら経験できまふ。これも2人称の極近しい人の氏と、三人称の匿名者の氏に分かれまふ。現代は1人称の氏と3人称の氏に2極分化しているとゆったのは誰でせう。メメント・モリで自己の氏を景気づけに使おうとの魂胆と、自宅の畳の上では氏のうとしても氏ねない公共の氏。ちゃんと検視して医者のお墨付きを貰えなけりゃ死んでも氏ねない。安楽死も自分では決められず法律によって決められると。人間を見ないで臓器を見る医療が跋扈して緩和ケアもママならぬ。嗚呼!
 とは申せ、「寝台白布これ父母に受く、敢えて起床せざるはこれ孝の始め也」の例えも空しくかだらに孔空けピアスのし放題。「もれのかだらをもれがどーしようと、もれの勝手だい!人に迷惑を掛けてるわけでもなーい!」つう屁理屈が援助交際にまで発展したるは周知のこと。氏が自分のものであって自分のものでは無いと同じように、身体も自分のものであって自分のものではなーい!脂肪判定、肢体の処理など公共機関の係わり。これも1人称と3人称の両極分離。ここは是非2人称の復帰が望まれまふ。あなたに氏なれてもうた経験は、いかに慰めれようとも自分で消化するしかないんです。いわゆる氏んだ人とどう付き合うかだす。例え今生きている人でも眼前にいなけりゃ氏んだも同然、皆可能性の存在。豈読書の体験と異なるところがあろーか?いやない。ですからわたしは未だに父母の温顔と共に暮らしているんだすぅ。どや!





おお〜っ!カマガヤンの活躍でファイターズ接戦を制す。めげない下積みは大事ですね。