7月25日(水)暑さに負けてだらだらと寸考二題

 薄晴れのち薄曇り。真夏日。街ではそろそろお祭りの準備が始まりました。

 ふと気が付けば、今年も蝉の鳴き声が薄いなあ。都心では未だこれを聞かず。7年前の気候を調べてみようかとおもた。何を隠そう拙者は夏になるとちびっこどもを引き連れて蝉の抜け殻採集が一番の楽しみなのれすよ。ネイチャー・リーダーっつう勝手な資格も持ってるしね。抜け殻採集は多く集めた者の勝だい!最近はヒトの抜け殻にも興味がありまふ。ふふふ



いじめ寸考:
いじめの定義を「状況的に反撃や反論のできない者にたいして暴力や屈辱で生きる力を失わせる行為(内田樹)」とすれば、今のマスコミやネット言論は教育関係者を「いじめ」ていると言えるのかな?マスコミやネットのいきり立った勢いを見ればそーとも言えるし、教育関係者たちが反撃や反論ができない立場か?と言うと、少なくともコトが表沙汰になるまでは反撃や反論をして隠ぺいしてきたともいへる。虐めは昔からあったし今もある。増えたかと言われれば波はあるが増えてはいないような気もする。難しい問題である。むしろいじめの定義やいじめの質の変化を見極めるべきだと思う。遊びやからかいから陰湿ないじめに向かう契機や兆候は一体何なのか?懲罰や教育指導が何処まで効果を持ちうるのか?人間は弱く間違い易い動物だという前提で、社会心理学的に地道な研究が必要です。いじめとの戦いは長い。一時の感情的な反応だけでは長続きしません。



センティメントは統計では管理でけまへん寸考:
確率ではリスク管理できない問題もあるとオスプレイ原発の事例を上げている弁当さんの日記を見た。極めて真っ当な意見である。統計上稀な事象でも結果が致命的なときには、単に確率が低いといふことを論拠にはでけまへん。また経験的事実(今まで重大な事故が無かったとか、直接の要因で死者は出なかったとかの)で安全を云々することもでけまへん。水俣病とかイタイイタイ病とかも、今までそんな病気は無かったし、因果関係も分かりまへんからと、不問に帰されてきたことが患者を増やした所以です。病気でも統計上とても多いのはそんなに怖がられまへんがな。循環器障害とか糖尿病とか。しかし統計上殆ど無視できるくらいの稀な病気は無駄に怖がりまふ。オーソレミーヨ、キュベッロイーネ♪BSEとかハンセン氏病とか。低線量放射線障害もそうかな。
経済活動ってのも人々が動かしてるものですから、単にマネーの増減や需給のバランスだけではなくって、センティメントが非常に大きく影響するわけです。確立や統計だけでは割り切れない世界なのれすね。どや?