4月29日(日)メタメタなる思考

 引き続きうすら晴れで暖か。


 考え方の縛り、特に日常眼前のことがらに捉われている状態からどー逃れるのかっ!つうのがメタ思考でやんすよ。現場の具体・詳細から少し離れておつむを冷やす類から、地域的な制約を外すこと、時代の制約から逃れ出でること、など手法はいくつかあります。大きなトレンドや波を掴む手もあるのかな?現状分析としては、辻褄の合わない気持ちに引っかかる現象をアブダクションするって手もありまふ。
 日常の細かい悩みなどは一二段メタレベルを上げて考えるだけで、「ああ、漏れはなんて詰まらんことに拘ってるんだろ♪」と悟ってグンと気が楽になることもあります。しかし、地域的文化的あるいは時代の盛衰による課題などの時間空間的に隔たりのある問題はそんなに簡単には現前しまへん
 例えば、今の政治家。成長戦略とか世界に影響力を持つ(国威発揚?)国家像とかを必死で模索してますが、今後の人口動態をホンノちょっと調べれば、もう無理無駄斑と分かる筈。集団で目隠ししているとしか思えませんねぇ。
 あと30〜40年経つと、60歳以上の人口が約50%になりまふ。これは大規模姥捨て山政策でも採用されない限り、現在の延長線上の必然です。ちょっと統計を見れば誰でも分かります。もう少し細かく分ければ、年少世代(0〜14)が約10%、現役世代(15〜64)約50%、高齢世代(65〜115)40%となり、生産年齢人口1人が年少高齢1人を養う構図となります。これで国威発揚とか成長戦略って取れますか?
 更に20歳以上の選挙権人口で言えば60歳以上が過半数のメジャーになるのはもっと早いですぅ。所謂シルバー・デモクラシーに突入します。民意とか最大多数の最大幸福とか言ってれば、すべて高齢者優先の政策になるのは火を見るより明らか。でも今世代間闘争で老人撲滅っ!とか騒いでる20〜40代が、仮にその成果が成った暁には、彼らも既に高齢者に足を踏み入れているっつう天に唾。これが世代間闘争のパラドックスでやんすよ。プ  世代間公平で言えば、1票にその世代の平均余命で重みづけするって手はあるのかな。先が永い人ほど発言権も大きいとか。幼稚な社会になってしまうぞ!と老人はイチャモンつけるかもしんないが、それだけ長く生きる人に少しは考慮しようよって公正だよね?更に敷衍すれば、これから生まれてくる未来世代への配慮も必要になるでしょう。
 ま、ネットばっかしやって運動しなければ自然に体力が衰えて早死にし人口動態もバランスするって機序はありまふが、差し当たりこの現実を身に染みて悟ったならば、いかに縮小均衡、身の丈の生活、地域と共存し、助け合って、ひっそりとつつましく生きて行くかを探るのがご政道(正道?)ではござらんかぇ?ま、老人の知恵の生きる道、例えば伝統工芸、伝統芸能、文化芸術、科学技術?などに力を入れて、この方面で尊敬される国になれば国威なんか発揚されんでも十分ではなかろーか。ど、どもども。






 あ”〜、ニュース見てたら強勢大国の口汚さには辟易しますねィ。「糞ネズミ集団の逆族共を捻り潰して焦土と化してやる。む〜ん!」だってYOー!どこのDQNが吠えてるのかと思ったら、国営放送のいい歳したおばさんがニュースでのたまわっておるのだよ。こんな国がガイキチに刃物(核)なんて恐ろしい世界ですねぇ。タハハ







 さて、サムポしてこよう。しばしさらば。













塞翁が馬ノート:

 平和と繁栄の代償として危機管理能力を失う。逆に、戦乱のちまたからは国土や同胞を愛するこころが生じる。





 屁理屈の理屈:

 「国家が弱者救済事業を一手に引き受けると称する国では、市民たちは隣人に対する気遣いを免ぜられる。それは非倫理的な社会である」(レヴィナス先生) これに似たのに昔左翼が良く言っていた、「募金や寄付は為にならない。政府の役割を毀損するからであーる。」つうの。どっちもいやーな気がしたもんだ。理に走ると角が立つ?