こんにちは。うっすらとした快晴。富士山も目を凝らせば
見えるほど。風無くおだやか。久しぶりに10℃を超えるかも。
(こんだけ同じ天候が続くと、ちょとした差異を見つけるの
に苦労いたしまふ。ハッ)
今日は聖人の日?いや成人の日。わだすもんん十年前にへ
たる道。当時は若き芸術家や天才科学者、若年で死んだ天才
数学者に凝っていたから、「ああ、何人にもなれんうちに二
十を超えてしもた。たははは。」つうくらいの気概は持って
たような希ガス。それで何かになれたのかっつうと、何人に
もなれんかった。いや、何人にもなれんでもイイのだ、と諦
めたのかな?プ
メジャーになると、自己矛盾をきたす思想とは:
・少数派で行こう!・・これはベタに字面どーり矛盾する。
・いかに人を出し抜くか!・・皆が他人を出し抜くことは
できるのか?
・ゆるく生きよう♪・・きつい/ゆるいは相対的なものです
から、皆がゆるくなるとそれが当たり前になってきます。
・奇人変人のすゝめ・・これも上記と同様、皆が奇をてらい
だしたら、それはもうごく普通の人ですね。
・自己中で行こう!・・全員が自己中になったら、もう社会
を構成でけずに自滅するでしょう。
なんかこういうの沢山あるような希ガス。目的を達したら
自滅するようなのが。「みんなちがって みんなイイ」つう
みすずちんみたいな感想ですが。マイナーだからこそ言える
こともあると。プププ
そう言えば去年の漢字は「絆」だったそうな。引きずなが
語源で馬や犬を繋ぎ止める綱を指すことから、「断つことの
できない人と人との結びつき。」を意味するようになっただ
と。自由主義的な個人から共同体指向に向かったといふ事?
そーいへばビーテレでも「まるものおきて」や「家政婦のミ
タ」のように家族の絆ものが当たっていたな。セーフティ・
ネットなき競争社会の最後の砦が家族ってこと?
世界にはイロエロな共助組織(華僑の「幇(パン)」の様な
やつ)があって、それが個人の挑戦を援けているんですが、
日本ではそれを壊しておいてセキュア・ベースが無いまま挑
戦ばかり煽っていた。それが再チャレンジを難しくしていた
と、はたと気が付いたんならエエのですが。
そーいへば小津 安二郎がリヴァイバルだとか。家族を含め
た人情の機微を描いて、普遍化し、世界中から認められている
優れもの。みなさん直ちにTSUTAYAに走りましょう♪
わだすはようやく発売された「日輪の遺産」を借りてきよう。
ではでは、どーもどもども。さばら。
シーーーーーーン