2012年1月7日(土)本読みの独白、読むことについて


 こんにちは。快晴。北の風強し。気温4℃〜8℃。西高東低
の典型的冬型気圧配置居座る。





 いちおう七草セットを買ってきた。サイコロ餅を入れて七
草粥を作る也。いや都会にいると、無理をしてでも行事をや
らなければ、季節感が失われるんすYO。ども。
















 先日、「本は書き手の思いどーりにきっちり読んで、変な
解釈を入れてはイカーン!日水木土から出来ている本は自然
の恵みであり所有、私有してわなら〜ん!」つう極めて原理
的な共産思想の煽りが入ったが、すでにこの芸風は飽きられ
てブクマも伸びず、単なる変人で終わってもうた。ああ、世
は移り人も流れ行く。諸行無常。チ~~~~~~ン















 ま、東京に斯くも多くの緑地が残ったのも実は大名地はみ
んな私有が許されず、幕府からの貸与だったからですぅ。
それらが全部明治政府に返納されたもんだから、一部が岩崎
なんぞの政商に払い下げられ、それ以外は今も緑地として残
ってまふ。丸の内一帯が三菱村になっているのは、この時の
遺産です。政商と軍需産業って、どの時代どの国でも同じ構
造ですねィ。

















 「本読み」に論点を戻すと、そもそも「読むこと」には3つ
の態度があーる!
1.鑑賞的:読者のイメージを喚起する素材を提供する文章
で、各読者がそれで感性を構築する読み方。(文学など)
2.情報摂取的:客観的な事実や知識を提供する文章で、読
者はその情報で周囲の世界を構築する。(新聞、論文など)
3.観念創出的:新しい概念や観念を提供する文章で、読者
は本と共に考え、既存の観念を再構築する(目からウロコが
落ちる)。(哲学書など) これは新しい外国語を習得する
に等しいところがあーる。(数学もそーかも?)


 これらは本のジャンルでもあるが、読み人の態度でもある
ので、例えば新聞でも哲学的に読むことができるし、文学的
に読むことも勿論できーる!

















 そもそも「本」は媒体の物理的な形態であり、重要なのは
その中に書かれたもの(テクスト)である。もちろん形態に
も時に芸術的、骨董的な価値を伴うが。このテクストは書き
手により喚起され、読み手によって意味を持つという媒介、
すなわち相関関係によって成り立っている。どちらかが主体
と言うことは無く、敢えていへば共同作業ということになろ
うか。

















 またアラユル芸術と同様、テクストも書き手の手を離れ
れば、一個の独立した存在となり、書かれた意図以上にも
、以下にも、読み手が読みたいように読んでイイのである。
それが創作物すべての宿命であることは言うを待たない。
ロマンロランはこれを称して「作者の死」とゆうておーる!
自分の読みたいように、読みたいものを読むという自由が
なけりゃ、だーれが本など読むものか?(いや、ガッコで
の読書はちげーますよ。これは試験で正しい読み方を正解
しなくっちゃなんねえから。ある作者が自分の文章を読解
したら、正解しなかったっつう笑い話もありえまふ。)


















 つうことで、本ないしはテクストは書き手からの一方通
行の情報伝達なんて寝言は寝てから言えってなもんですぅ。
テクストの語源はtexture,textileつまり各自のボキャブラ
リー、出自来歴、性格、知力、イメージなどの縦糸横糸で
紡がれた織物なんすね。言葉ひとつをとっても、それは全
てがかって学んだもの経験したもので、自分固有の生まれ
ながらのものなんて一つとしてありやせん。それを使って
新しいものを織り上げるのが書く事。そして読むことは、
それに触発されつつ新しい織物を作り上げる作業なのです。
客観的に正しい読み方なんぞはそもそもなーい!ここに至
っては作者のことは考えなくても良いのです。
















 しかし、そー無碍に作者を否定しきれるものではない。
考えなくても良いが、その元の織物のパターン、作者のもの
の見方は確かにあって、無意識にその作者の見方に染まる
ことはありえます。漱石の見方、春樹の世界に、自分の見方
が影響されて徐々に変わる、あるいは目からウロコが落ちる
ことはあり得ます。そこで自分の解釈(テクスト)を少し
ズラせて新しい織物(パターン)が浮かび上がってくると。
このように読書とは常に双方向のテクスト空間を作り上げる
作業だと言うことです。

















 ま、ありていにいへば、作者のことはあまし考えなくても
イイ!自分の好きなように読めばイイ!ごくたまに偶然が幸
いすれば、今までの古い自分を解体し、新しい自己を再構築
できる機会が訪れる(目からウロコがパラパラ落ちる)って
経験がでけるのかもねィ。















書き手がいなけりゃ存在しない、読み手がいなけりゃ意味が
ない!って渾然一体化した作業が本読みつうことでせうかィ?














フムフム、チト、リクツバシッタカナ












スポーーーーーーン












 そだそだ、自分の為に、これも一つ入れとこ。
「早読みは情報摂取的な読み方には有効である。しかし、
観念創設的な読み方は、遅ければ遅いほど深く読めます。
しかも、繰り返し読めば読むほど新しい発見があーる。」
自分の好きな本はゆっくりと咀嚼しながら何べんも繰り返
し読むのが吉。





ドモドモ