10月10日(月)なぬ、体育の日だと!そんじゃジョグしてこよ


 こんにちは。白っぽい秋晴れ(白秋?)。南寄りの風。
気温24℃と過ごしやすい。虫の声盛んなり。そういえば
公園で殿様バッタを見たぞよ。捕まえようとしたら、ばた
ばたばたと飛んで行ってしもた。









 人のことは良く分かるが、自分のことはちーとも分からな
い、つうのは認識のパラドックスですね。いや自分のことは
自分が一番わかってんだい!つう皮は被ってますがね。それ
でみんな気が付かないだけだす。


















 例えば、気が付かない内に写真に写っていて、「これが俺
かよー!」って驚くときってあるよね?なぬ、無いだとお!
それは冷静だ。普通はセルフ・イメージと他人の客観視とは
時間ズレがあるもんなんだけどな。つまり自分の中では10年
前のイメージのままとか。プ

















 つまり自分に対してさえ、こころのイメージにはウロコが
かかっていると。ましてや他人や世の中の事象にウロコ(フ
ィルター)が掛からんわきゃねーがな。そしてこのウロコに
気が付き、次はそれをどー剥がしていくのかが課題になーる!
ま、気が付いたとこで半分は剥がれてんだけどね。


















 問題はそれぞれの課題に対してはそれぞれの道具があるって
ことで、木を切るには鋸、フグの薄づくりには刺身包丁って
な具合だ。その辺が学問の功徳ってことなんだろうな?方法
論を引き出しにいっぱい持ってた方がより遠くへ行けると。
これが思考の効率化で、独学との差になるのかもね。でもね
ときに自分ですんばらしい道具を作ってしまう野郎がいるん
だよ。これが天才。群論の我路亜とか数学・科学の巨人我臼
とかは道具の達人だったですぅ。でもこの二人は政治思想で
は全く対極の極左vs極右。数学的な才能は生まれつきに左右
されるが政治思想は育ちに左右されるってことですか?はい。




















 今のところ道具は、現象学分析哲学構造主義、古くは
弁証法、科学的思考の方法序説?西田の相即理論?まだまだ
いっぱいあるけど思考対象と方法論って、目的と手段みたい
な関係でお互いに入り組んでるんでやんすよ。つまりより高
い次元に入れば目的は手段に化すと。



















 それで霊と肉が分かれて肉が貶められたのは西洋の伝統。
その観点からは「セクロスは侮辱であーる!」といえるです、
ふぁっく!なんて言葉もあるしね。でも東洋ではそんなん
ないがな。心身一如ですからねえ。肉は汚くねーんですぅ。
なにしろ一切衆生悉皆成仏とか山川草木悉有仏性ですから
ねえ。 















 もっともアフォで崇高な生き方:これはルールですから。
 もっとも悧巧でお下劣な生き方:これは欲望ですから。














ビヨ~~~~~~ン、ドッ











 おお、煌々たる満月が中天にかかってるのう。んじゃ
ビール買ってこよう。さらば。




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