5月28日(土)五月雨の中を五月祭に出向く


 こんにちは。梅雨に入ったら早速終日しとしとぴっちゃん
しとぴっちゃん。気温は20℃前後で安定。ケロケロ。と、
どこかでかえるの声が聞こえたよ。














 久しぶりに五月祭に行ってみた。雨にも拘わらずイヴェント
で盛り上がってた。若人はエエですねえ。模擬店ばっかし
じゃなく、音楽関係のイヴェントを方々でやってて賑やかれす。
工学部前ではブルガリアの民族ダンスをやっていて可愛か
った。東北大震災の展示も多かったですが、宮城・岩手の
航空写真を伸ばして床一面に貼り津波の範囲を見やすくし
た展示は、その恐ろしさをまざまざと感じさせた。沿岸一
帯で、内陸に何十キロも入り込んでいる被害に声もなし。














 今から1142年前、平安時代貞観11年(869年)
7月13日に東北地方太平洋岸を襲った巨大地震と大津波
の様子は菅原道真が記録に残しています。「13日夜、陸
奥国に大地震あり。振動は長い間続き誰も立っていられな
い程だ。家屋は殆んど倒れ地割れが起こり、牛馬は狂奔し
た。不気味な海鳴りとともに波が押し寄せ回りこみ膨脹し
てすべてを飲み込み多賀城まで至る。その距離15km〜
50kmに及ぶ。原野・田畑・道路すべて瓦礫に帰す。船
に乗るも山に逃れるも暇なく溺死者千人以上に及ぶ。資産
や食べ物も一つも残らなかった。」(漢文、玉虫意訳す。
なお旧1里は約0.5kmとした。)当時の人口は現在の
1/20くらいですから、人的被害も今回の震災に匹敵する大
きな災害でした。朝廷の奥州支配の拠点である多賀城
壊滅し、以後大和朝廷の支配が回復することはなかった。
一つの時代の大きな転換点ではありました。














 あと、幾つか話しを聞いたんですが気分的にがっくし
ちかれたから、また後で追加しよ。なにしろ状況をほんと
に実感するってことは難しいなあ、と思いました。
ちょと記憶に残ったのは「建前だけで動いてもダメ!」つ
うの。身も蓋も無いような話しに真実があるとか。例えば
必要な物としてカップラーメンやミネラルウオーターを
送っても、それらは既に山のように届いてます。聞かれて
も言えないけど、ほんとに欲しいものは「酒や煙草、少年
ジャンプやポルノ雑誌」だったりします。ストレスが溜ま
ると身も蓋もないものが欲しくなるんすね。これも人間ぢ
ゃ〜!とか。我々の普通の暮らしとはどんなものだったの
か、押し付けでなく考えたいものです。タハハハ













 ハックル氏も大分メジャーになってきて今日も講演があ
ると書いてあったが、野暮用があったので聞かずに帰って
きますた。あ、留学生もみんな逃げてしまったし、今更な
がら「教育とグローバル化」なんて付け焼刃なシンポをや
ってたよ。プププ
















 嗚呼、「百年河清を俟つ」也!