4月26日(火)正解が無い世では、どー動けるのか?

 こんにちは。かすみ晴れ。ときに南風つおし。でも、爽や
かな気候。銀杏並木もようやく若葉が出そろった。


















 世の中万事塞翁が馬つうのがホントなら、正解がないこと
と同義ですから多少気が楽だ。禍福が糾(あざな)える縄の
ように反転するのなら勝ちも負けもねーわな。












 しかしこれは時間の関数であり、短期的に見れば禍福が定
まっていると見ることもできる。長い時間を見れば反転して
いるに過ぎない。これはしかし、価値観の問題に辿り着くな。
旨いものを先に食うか、後まで取っておくのか。











 同じ一つの事柄が見方によっては福に見えたり、違う立場
から見たら禍に見えたりするのは時間によらない立場の違い。
即ち、禍福は立場の違いつうこともありえまふ。















 このように考えると、どんなに頭のエエ人がじっくり考えて
実行しても良く見ればイイし、違う見方ではワルイつうことに
なるから、結局自分が機嫌良く暮らせる方を選ぶしかあるまい。
















 でもね、そうは言っても一応あれこれ考えたりやったりしな
けりゃ人生の間が持ちません。それには双方の立場に立って
物事を突き詰めれば、2倍の暇潰しができるってなもんです。




















 一つの例題:因果関係や確証がないときにどー動くのか?




 この時の動き方にも「能動/受動」「積極的/防御的」つう
判断がありまふ。




拉致問題では確証は無かったが、極めて不審な行方不明事
 件は多々あったわけですから、初期の時点で沿岸警備を強
 化するくらいの防御的な措置があっても良かったかも。



水俣病の当初、因果関係が分らず風土病だ農薬だとか言われ
 ていたがやがて工場廃液が悪そうだ、アセトアルデヒドだマンガン
 だと言われた。でも因果関係が分らず何の対策も採られなか
 った 。猫が踊った時点で確証が無くてもフェイルセーフ側
 に行動を起こす契機はあった筈。でも、ここで原因までマン
 ガンとか決め付けてたら真の原因(有機水銀?)にまで辿り
 着けなかったでせう。




放射線量の基準に関して、どー考えるのか?
 もっとワルイのに比較して安心を得るのか、今回の大事故前
 に客観的に定められた国際基準に従うのか。むずかすい。
















 おっとけふはこれまで。この項奥が深そうだから続くかも。















プップップー