4月19日(火)言語を含めた抽象的な思考の本質とは。愚考。

 こんにちは。朝のうち弱雨、午後から陽射し。北よりの
風つべたい。そだ、おらもそろそろベランダ農業を開始する
かな。今年は去年失敗したつる物で緑のカーテンに挑戦して
見よう。さあ、皆の衆、 Carry ON 省電力!
















 言語ってのが人間精神の核であるってことに殆んどの人
は異論を差し挟まないでせう。勿論、非言語的な表現も
多々ありまふが。

















 本屋さんサーフィンをしていたら「ガロア」の新刊が幾つ
か出てました。これは学生の頃けっこう凝ったことがありま
ふ。L.インフェルトの「WHOM THE GODS LOVE」というの。
21歳で血糖でいや決闘で死んだ若き数学者の話し。代数
方程式の解法に画期的な手法を創出し「群論」という学問
分野を切り開きました。しかも10代で高校生の時に!

















 これは代数方程式の解を可換群(ガロワ群)に1対1に対
応づけ、群という集合の性質で代数方程式の解(根といふ)
を置き換えるという画期的なものでした。当時の一流数学者
は誰も理解できずスルーされたまま失意のうちに亡くなった
というゴッホ的な生涯。クウ~ッ で、僕も数学者になろうと思
ったの。成れなかったけどね。ショボ~ン

















 数学も言語の一種と観じれば、他のものに同型射影して
そちらを研究するってことも頷けます。方程式だってグラフ
だって集合だって、それぞれが1対1に対応が付けば全く
おんなじものとして扱えるのです。それだけ自由度が広いも
のなんすね。だから一見全く関係のないような新しい抽象物
を如何に考え付くのかが大切なのですね。そこに天才性が
発揮されまふから、数学は芸術だあ!と言えるのかも。
















 言語にしてからが、その媒体が光波、音波、触覚など一見
全く違うものが脳内で同じ言葉として理解されるのは、実は
とても不思議なことなのれす。話し言葉と書き言葉は口語体
と文語体の違いは別にしてもホントは全くちげーもんなんだ。
数学が色んなものに射影でける性質と、言語が色んな媒体で
表現でけるってこととはどっかで通低してるみたいだ?つう
のが本屋で立ち読みしていてフト気が付いたことです。


















 ついでに認識の多様性なんて考えてたら、真っ暗闇の中で
キッキキッキと超音波を飛ばしながら高速で動く世界を認識してい
るコウモリたちの世界ってどう見えてるんだろ?なんて考え
た。4次元的に動く無数のチューブの集合体が世界を構成し
ているとか。人間なんて止っている石像みたいなもんかな?
時間空間の枠に嵌めて世界を認識するやり方だけが正常では
ない、ってことがおぼろげに推測できる想像力と。この想像
力が創造力に結びつくような気がうっすらとしますねぇ。


















 なんか非常に分かりづらい自己中な内容になってしまひま
したが、何しろ青春のおもひでなんすよ。そこんとこを汲ん
で勘弁してくんろ。
















 そうそう話し言葉と書き言葉で一つ思い出しました。
イロエロな外人と接した経験からすると、書くほうが断トツ
に難しいようだ。話してるとけっこう流暢に表現力もあるん
すが、書かせてみるとまるでシッチャカメッチャカで無理して読むと
こちらの頭までおかしくなってしまうようなミド流文章って
多いんですよ。不思議なことでわある。って漏れも大層な
ことを言える身分ではないけど、話す時は繰り返したり、
身振り手振りや表情とかイロエロと援用でけるが、書くのは
1回勝負でてにおはや文法が少しでも狂うとイミフってこと
なのかな?それとも相手のフィードバックが無い一方通行
だからなのかな?何れにしろ不思議なことではありまふ。
















ビロ~~~ン