2月9日(水)モラルやエティカを進化的に考えてみると

 こんにちは。朝のうち霙、午後から晴れ。夕焼け空が真っ
かっ赤。カモメがくるりと輪を描いたぁ♪

 暮れに買った薄紅色のシクラメンがまだ元気に花をつけて
います。清しい 。














 道徳、倫理、モラル、エシックス

 進化論的「道徳論」でいえば、モラルは適応のためにでけた
と言えるです。動物は本能でそれ(適応)をやっているが
、人間は一応自由意志があると思われてるからそれ(適応)を
ルールでやりまふ。今まで道徳が残ってるつうことは、それが
適応的だったからです。ごく一部の不道徳者はいても、その
不道徳が大半を占めなけりゃ、その民族は生き残れたと考えれ
ます。悪徳の栄が大半を占めれば、当然丸木戸佐渡族は生き残
れまへんえ!













 ゆえに普遍的なモラルはありうるのか?っつうと、それは
かなり難しいと思います。適応の仕方は環境によって異なり
ますから。例えば「汝、人を頃す勿れ!」つうのは普遍じみ
てますね。しかし民族殲滅大虐殺を狙って侵攻してきた敵を
迎え撃ち、勇敢に戦い多くの敵を頃したものは道徳に叶い、
英雄です。怖気て逃げ出すものは卑怯で不道徳。でも環境が
変わり、平和な社会で無辜の民を頃す者は不道徳な悪人です。
進化論的な適応は環境によって全く異なるのです。(だから
多様性がロバストネスを保証すると。)
















 でわ、「悪い人をブツひとはイイ人かワルイ人か?」メタ
視点のモラルですが、文頭の”悪い人”が相対的である以上
メタ視点に上がっても、それは絶対的にはなりまへん。むし
ろ、ブツ行為が問題にされ兼ねません。拷問とか極刑に結び
ついたりしてね。

















 さて、ここで幾つかの見地を整理しておくと:

・理屈で作ったルール VS. 自然な感情による規範
・仲間内のエティカ vs. 異邦人への対応
・文化相対的なモラル vs. 同じ状況なら誰でもやる普遍性
・個人の自制 vs. 集団の規範

などなど。良い人が集団になると物凄くエゴイスティックに振舞う
傾向は良くみれまする。蛮族を教化して美しい国を作ろう
とのエバンジェリスト集団は、世界収奪の先駆けとなりました。
国益の追求が正しいとすれば、それは盗人の方便?


















 しかし、普遍性つうのも統計処理の範疇でせうね。
子供が困っていたり泣いていたら助ける人と、人を苦しめ
て喜ぶSな人。線路に落ちた子供を身を賭して助ける人と、
人を後ろから蹴落とす人。もしも後者の傾向が多ければ、
その民族はとっくに滅んでいた!っつうのが進化論的な
見方。でもそもそもが結果論的な適応理論れすから環境
次第では後者が必要なときもありえまふ。
















 ですから、適応的ではない後者の人もときおり見掛ける
という事実が重要なのれすね。純化、純粋が脆いつう所以
れした。こりが自然界の不条理という条理です。ハァァ〜









 割り切れなくとも割り切らねばならぬ堪忍するが堪忍♪















ビロ~~~~~ン




 









ふと思った慙愧:耐えれるかしら


 体制内変革って良く言い訳に使われるけど、これは成功した例(ためし)がない。せいぜいリストラ(クション)してシュリンクするのが落ち。これは体制内には沢山の既得権者がいるからですね。自分で自分の足元を崩すのは、よほどの勇者でなければ無理。革新には外圧を要する所以也!ドモ