1月29日(土)ディジタルはアナログに何処まで迫れるのかっ!


 こんにちは。曇りがちな晴れ。日中もさぶいぞ(怒)。
でも、もうすぐ如月。三寒四温の季節だす。三寒に重点を
置くか、四温に重点を置くかで、四温@如(じょ:始まり)
か、三寒@重ね着か、の解釈は異なりまふ。わたしは如=序
萌えいずる、始まりのほうを採りたい。






 今日は六本木から青山の方へ歩いた。この辺は2時間も
歩けば、たいていのとこへたどり着けまふ。


















 論理好きな人の多いネットで、論理はどんくらい有効なの
か?の検証:デジタルは認識世界を制することがでけるのか?












1.ヒルベルトの夢:「人間の直観=形式論理」
点、線、面、三平方の定理、より抽象化した幾何学など
の直観は全て形式論理で置きかえれるのだっつうヒル
ルト・プログラムを提唱。(言い換えれば、この世の全
てはコンピュータによるデジタル・アルゴリズムで解決
でけるっつう主張。)











2.ラッセルのパラドックス:「人間の直観≠形式論理」
集合論において、正しい形式論理で記述した命題が矛盾す
る(人間の直観に合わない)ことを示した。否定的な自己
言及は矛盾を孕むという証明。
(Ex.村の床屋。ある村の床屋さんは、自分の髪の毛を自
分で切らない全ての村人の髪の毛を切ります。さて、この
床屋さんは自分の髪の毛を自分で切るのかどーか?)











3.ゲーデル不完全性定理:「人間の直観>形式論理」
自然数論は無矛盾な体系(これはもともとディジタルだか
ら形式論理に置き換え可)を構築でける。しかし、自然
数論より強い理論(集合論など)では、自己の無矛盾性(
人間の直観に合うこと)を証明することがでけない、と
証明してしまいますた。トホッ
















4.チューリング・テスト:「人間≠コンピュータ?」
コンピュータの父@チューリングは人間の父になれまへん
ですた(ゲイだから)。テープみたいな入出力を内部処理
し記憶するチューリング・マシンを考案しました。そいで、
「コンピュータは考える事がでけるのか?」を考えた。
これは形式論理ではあーりまへんから、いくら考えても
無駄だす。そこで、カーテンの向こうで人間とコンピュー
タを「会話」させた。どっちがコンピュータかを当てる事
ができなくなったら、コンピュータがココロを持ったと言
えるですぅ。でも、未だにこのテストをクリアしたコンピ
ュータはおりまへんです。













 今日の結論:「会話」こそが最も人間的な能力なんす!
こりは、何も音声、音波を通したものに限りまへん。書字
でも点字でも手話でもボディランゲージでも、表情でも絵画で
も、音楽でも彫刻でも、はたまた二次元のネットでも、ヘ
レンケラーの指文字だって、人と繋がりたいって気持ちさ
えあれば、聴覚、視覚、触覚だってなんだって手段とでけ
るんだい!なしてネットの二次元が薄っぺらいと言えるん?
にほいや味覚だって立派な会話手段になりまっせ!













ドモ













 やけに調子のエエ、アメリカ民謡が頭(ず)にずっと響い
てるぞぉ〜


ハンダン ヤ ヘッタム ドゥーリー♪ハンダン ヤ ヘッデン クライ♪ハンダン ヤ ヘッタム ドウーリー♪ パボーイ ヤ バントゥ ダイ♪
















やったああああ〜〜〜〜〜!!!!
長友ー李の黄金リレー!!!!! 審判は案山子だったけど
パワープレイを制したああああああああ!!!!!!!!!