1月15日(土)我が内なる世界で生きてる人々に乾杯!


 こんにちは。寒曇り。雪は降らず。でもさぶい。
今日はイチゴの日。銀座で苺を買う。また一点豪華主義
見栄春キャラ出没か。















 靴下13足、シャツ11着、ネクタイ7本、スラックス
5本、ジャケット3着、靴2足、鞄1個を順番に着用すると、
組み合わせは30、030。つまり3万3十回で同じ組み合
わせが戻ってきまふ。素数の法則。でもしまい方はFIFO
(ファースト イン ファースト アウト)にしなければあかんよ。貧乏人
の浅知恵。コーディネーションなんか考える余裕はなーい!
でも旅行は2着づつ。勿論靴と鞄は一つだけ。靴下はバスで
毎日洗いマフ。衣類は2日以上滞在する時エキスプレス・ラ
ンドリーに頼んます。これだと手荷物だけで身軽に通関でけ
るだすぅ。この一歩がタクシー待ちなど無駄な時間をセーブ
でけるだよ。
















 脳科学実験心理学の枠内からそんなに離れていないっつ
うのは、意識や睡眠の機序は未だに五里夢中ってことからも
分りまふ。脳の活動部位みて機序が分るんなら、寝てるとき
や意識を失ってるときと正常覚醒時を比較して簡単に分析で
きるはず。意識は後頭部を強打されたり、全身麻酔をかけら
れたら簡単に喪失するからねぇ。哺乳類も爬虫類も鳥類も魚
類もギョギョーっと意識を失うしね。コメツキムシもコロっ
と意識を失ってピョーンと覚醒しまふ。















 睡眠だって人間だけじゃなくって、けっこう生物の基本的
な機能なんすよ。小鳥も魚も虫も眠りまふ。睡眠リズムは遺
伝子レベルで大分解明されてまふが、睡眠そのものの役割や
機序は未だ五里夢中。イロエロな説がつぶやかれとりもす。
















 意識と認識は深い関連がありまふが、無意識に認識するて
ことも勿論ありまふ。ちょと語義矛盾のようですが、とっさ
に物を避けたり捕まえたりするのは生物なら当たり前。生き
る基本れすぅ。ところで不在と実在とは勿論意識の中。我ら
の眼前、今ここで話をしている人以外はみんな仮想のなかの
しとなんす。生きてるしととしんでるしとを区別するもんな
んか何もありまへん。唯一区別があるとしたら、それは「可
能性」だけです。またいつか会えるかも知れないというこれ
また仮想の現実性。でも、もう永遠に会わないかも知れんし
ね。だから、ホントに区別はナインれす。本の中のしとやネ
ットの中のしとも、遠い昔の人々もぜーんぶ同じ認識の範疇。


















 ですから、ぼくにとってはなくなった両親も夢の中で会っ
た人もネットの向こうにいるしとも、みーんな生きてるんだ
い!さて、ここまで生きてるって概念を拡げれれば、幽冥の
境はもうすぐそこですね。ああ、世界って狭くて広いですぅ。
直接、見て会って話してすれ違う人々だけが実際に生きてる
んぢゃ、つまらないも〜〜〜ん。実際に話して、朧げに人格
を認識でける人はセイゼイ数百人ぢゃないのかなぁ。ツイッ
ターで数千人もフォローしてる人は神ぢゃね。いやホンマ。















 でわ、夢の中の隣人に会ってきまふ。もやすみなっさりませ。









ドモドモ