1月13日(木)ええじゃないか、何でもええじゃないか


 こんにちは。昨日も晴れ今日も晴れ明日も晴れでせう。気温
5℃前後と厳しい寒さも続く。冬型気圧配置居座り中ですぅ。
ああ、もう冬にも飽きてしもたなあ。梅の花芽ふくらむ頃。














 モノの見方は大きく分けると、決定論的なのと自由意志の
働く確率的なのがありまふ。ニュートンの頃は前者。世界の
全ての原子の初期状態(位置と運動量)を知っている知性(
ラプラスの魔)があれば未来を確実に予測でける、つうもの。
そして量子論なんかで確率的な世界観が出てきて、神様も賽
を振るようになりましたが、ともない人間の自由意志を信じる
勢力もつおくなりました。が、ここにきて無意識の行動など
で自由意志はあんまし自由ではないんぢゃねいの?つう考え
が出てきて、全ては決っているんじゃねーの!つう運命論者
も散見されまふ。やはしものの考え方にも波がありまふね。















 で、ぼく? やはし常に波打っておりまふが、今はランダム
な確率志向でやんすね。ようするにこの世界は行き当たり
ばったり、偶然に偶然が重なり転がっていくと。だから、
今ここの現在に在るという事実をもって、それが適応的で
あるなんて言えないわけです。ほんとにたまたま在るだけ。
そこには何の意味もない。偶然にすぎまへんねえ。未来も
偶然に転がっていくだけ。何の理由もなければ、いっそスッ
キリしまへんかえ?














 一方、論理的なしとはこの無意味さに耐えられず、この
世界は適応に適応を重ねた必然であーる。だから存在する
ものずべては何らかの適応の結果であり、意味があるので
あーる!と思い込みたがりまふ。ま、人それぞれで勝手で
すけれど。それに、どっちでも良ければポジティブに生き
れる方がイイじゃんかい!つう前向きな信念を持ってます。
幾分、功利的ではありますが。ま、すべては神の御心のま
まに♪っつうのと似てはいます。なにしろ悪人だろうと、
既得権者であろうと、差別主義者であろうと、権威主義
であろうと、官僚であろうと、記者クラブであろうと、金
の亡者であろうと、詐欺師であろうと、何であれ、それは
何らかの適応の結果であーる!と見做すんですから。だか
ら日本人が英語が下手なのも、学歴偏重なのも、青田刈り
も何らかの適応の結果であって、それ自体は悪くはない。
悪いのはそのシステムであって、パラメーターを変えれば
日本人も英語が良く身に付くかもしれない、と考えまふ。
ようするに今のシステムでは日本にいる限り英語を流暢に
話せなくても、そんなに不利益を被らない。逆に流暢杉る
と軽く見られ胡散臭い奴だと思われると。パラメーターを
変えて、英語が流暢に話せなければ就職もでけないように
なれば誰も煽らなくっても皆目の色を変えて英語を勉強す
るだろうよと。















 ふむ。なんとな〜く一理ありそ。「システム憎んで、人
を憎まず」とか。これも人間の自由意志の作用を低く見た
世界観ですね。こうして存在するもの全てが何らかの意味
を持たされ、社会に適応した結果だと肯定され、みんな
しやわせに暮らしましたとさ。ジャンジャン













 で、ぼく? ぼくはやっぱしこの世界にイミなんか無い
と思ってまふよ。たまたま斯くあるだけ。適応とか意味と
かの価値を付けるのは人間の勝手。虫たちはただただ毎日
生きてるだけです。虫にだって喜怒哀楽はあるんでい!
だいたいこの世界には始まりがあって、最後には終わりが
来るという直線思考、進歩史観、ハルマゲドンは根っから
肌に合わないでげす。むしろ始めも終わりもない円環思考、
いつでも今が最高ってのが気が楽で、怠け者には居心地が
よろしい。














 ええじゃないか♪ええじゃないか♪なんでもええじゃな
いか♪よいよいよいよい♪



















追記:おお、良いとこで思い出した。備忘、備忘。

すけーべにんげーん♪にんげーん♪
現地語ではスヘベニンゲン(Scheveningen)と発音する
らすい。
テオ・ヤンセンはここの出身。今、お台場で風で動く砂浜の
生命体(ストランド・ビースト)展示をやってます。2月
14日まで。早めに行ってこよ♪