9月29日(水)パクリ考現学を書こうとおもたらカタカナばっかになってしもた


 こんにちは。久しぶりに晴れ。雲が多いけど。涼しい。
だいぶ虫の音が多彩になってきました、秋の夜長。




 どーも最近夕飯を食べ終わるとコロっと寝てしまいますぅ。
それで早く目が覚める。まだ暗いうちに。じっと息を潜めて
虫の鳴き声を聞きます。リリー、リリー、ゲロゲロゲロ。














 メディア(媒体)ができるとコンテンツ(中味)が間に合
わなくって、パクる例は歴史上いつでも何処でも沢山あり
まする。潜在的な需要に供給能力が追いつかない時は、パクリ
を以ってして需要を顕在化させます。江戸期に版元ができて
出版文化の華が開いたときもそーでした。いいコンテンツが
足りないので、少し先行していた中国から西遊記三国志
水滸伝などを仕入れますたよ。紅楼夢は似たようなの(源氏
物語)のがあったからパクリまへんでした。この辺は需要と
供給の関係です。














 特に笑い話は明代の「笑府(しょうふ)」をパクったもの
が多いです。江戸の小噺し、落語などに大きな影響を与えて
おりますです。有名な「饅頭こわい」も、この笑府の中にあ
る、畏饅頭(まんじゅうをおそる)をパクったものです。
エロイ噺しも沢山収録されてます。しかし残念ながら元祖「
笑府」はパクられて消えてしまい、日本にのみ残っているの
れすぅ。
















 近世の出版界でも「悪書(あまり読まれないもの)は良書(
良く読まれるもの)を駆逐する」だったのかな?よく読まれる
本はすぐにボロボロになり、版木も毀れて残らないと。積読
飾り本は傷まないし版木も保存状態がイイとか。プ
つう意味では「雅」は永く残り、「俗」のいのちは短くて苦し
みのみぞ多かりき。っつう普遍的な原理がありそうでやんすね。
















 パブリッシングやラジオ・テレビなどのブロードキャスティングのイン
フラがある地域で勃興すると、コンテンツはスグには追いつか
ないから勢いパクリが多くなるつうのも普遍的な原理でせう。
日本においても60年代のビーテレのアメリカン・コンテンツ
全盛期はパクリばっかし。その後、日本独自のコンテンツが
作られると今度は、韓国、中国などにパクられると。しかし
今また韓流ドラマが日本を席巻しているのは、コンテンツは
行ったり来たりで振動するというもう一つの原理を示しておる
のでわないかい?明代の小説、笑い話が江戸中期にパクられ、
明治期には欧風漢字文化が中国に還流したのもこの一種かな?















 ともあれ文化の流れっつうのは高低ではないのれすね。
シーズとウォンツの狭間、需要のある所に供給あり!といふ
神の見えざる手から零れ落ちたるものなのだあああ!
















 ジュヌセパパルレフロンセー!モミジマンジュ、アザブジュボーン、シルブプレ.
ボンソワール、オルヴォアール.そういへ場パリのど真ん中にも新橋(ポン
ヌフ)が在ったなあ。文化の共通性?あ、寝る時間だ。ポヨ〜ン