8月24日(火)概して善良な正義派が多かったようなシンポジウム


 こんにちは。晴ればれ。昼間は暑いですが、夜風が快い
季節になってきたのかな?中天に満月輝くなり。











 久しぶりにアキバハラに行ってきた。アチュイアチュイ街
ですぅ。「科学技術と社会の相互作用」シンポジウム2010。
遺伝子工学、臓器移植、脳科学、温暖化、クリーンエネルギー、など
科学技術と社会の関係が緊密化してきて、科学も象牙の塔
閉じこもってばかりはいれまへん。すなわち「好奇心駆動型」
で科学者共同体内部で自己完結していた科学技術から、WW2
(ワールドワーセカンド)を境として国家や産業が科学の成果を自分
達の目的に活用し、その結果一般社会の構成員の生活に広汎
な影響を持つに至った。そこで科学と社会の良い関係を如何
に構築するのか、っつうのが喫緊の課題となったのだお?














 Public Engagement in Science(公衆の科学への参
加)はイロエロな問題を含みます。すなわち、社会には多様
な価値観があり一般に科学に対して胡散臭い目で見ることが
多いです。逆に科学と謳われると頭から信じてしまうとか。
温暖化ひとつ取ってみても各ステークホルダー(関係者?)は立場
により好き勝手に発言します。そこで科学と社会の調停に
ついては立場の異なる相手を説得して考えを変えさせるより
は、The Performative(善悪は問わず主張の中味だけを見る
態度)に相手を捉えて、主張の前提、信条、信念、論理展
開などを顕かにして、賛同はしないが相手の言い分は理解
する。つう態度(方法論)が大切なのでわ?という基調講
演がデンマークの社会学者から提示された。特に遺伝子改変や
合成生物学の分野で実行に移されているとか。













 ぼくはこの考え方にはインパクトを受けた。温暖化などの
議論でも各ステークホルダーの拠って立つ基盤や前提、事実と仮定、
統計的な処理など、時には熱情などが巧みに隠蔽されオープ
ンにされないから、後で検証もできず、徒に水掛け論に終始
するなんてことは良く見掛けます。













 あとは殆どねてたけど、エキスパートとパンピーの協働施策など
勉強になることが多かったです。それにしても昨年辺りから
「科学と芸術」とか「医学と芸術」とか「科学と社会」とかが
急に流行り始めたけど、政権交代後の「仕分け」の影響なの
かな??? ま、流行り廃りぢゃなくって細分化された科学
技術の再統合の過程だと思えば、もう少し前向きにとらえれ
るのかもね。しかしマンハッタン計画原子爆弾)などいくら
アセスメント手法が完備してたって国家の意思が発現さすれば個人
などには留めようがないわな。シニカル杉ても世の中は進ま
ないわな。ドモドモ








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