7月13日(火)貰うばっかし(入力)より与える方が(出力)吉!

 こんにちは。曇りがち。思ったほど雨は降らず。気温低い
が湿度高し。梅雨前線が本格的に本州にかかる。梅雨明け
近し。





 たちゅる君ちのブログ(内田樹の研究室)に「脳の活性化
は入力より出力だ!」という話しがスワヒリ語の学習を例に
取り上げられていた。また「いくら自転車の事を学習しても
、決して自転車に乗れるようにはならない。」とも。つまり
いくら知識を仕入れても、それを活用しなければそれは無駄
な知識で身に着かないということ。これはホントだとおもた。
幕末の陽明学が志士を行動に駆り立てたのも同じ原理。また、
「小脳仮説」といって運動や演奏は繰り返し体に覚えさせな
いと身に着かないとも。これは将棋などにも言えるようです。
創造性つうのも、始終そのことを寝ても覚めても考えている
から、期が熟すと突然閃くように見えるとか。







 つう事は百冊の本を読むよりも、1冊自分で書いたほうが
エエってことかな?ブログを4年間毎日書いてるのもムダで
はないじゃん!とか我田引水して独りほくそ笑む。ニヤニヤ
そう言えば勉強したことを人におせーると一番良く身に着く
とかキョージュが言ってたなあ。入力ばっかだと煮詰まっち
まうが、出力ならいくらでも吹けるから俺むきかもしれん。








 そう言えば姜尚中氏も「書くことによって、真の自己内
対話が始まり、自分が解放される」と力説しておったな。
「出力いっぱーい!よーそろ。未知の大海をめざせー!」








 「入力より、出力」、「詰め込むより、使え」、「憶える
より、教えろ」かな?(玉虫ひと言訓話に追加する也。)






 とか言ってるが、なんか心浮き浮きとした気分の根源を
さぐれば、ブックフェアで新しく積読本を沢山仕入れた事。
読みも書きもしないけど、可能性だけでしやわせになれる
人間心理の特質を最大限利用しているボキ。いけない子。

















 今日は日比谷の松本楼において交流会。経営者2名と
キョージュ、法曹、と漏れ。いカーン総理の評判は極めて
悪し。今後はもうマニフェストは有害だから、重要案件
毎に国民投票で政策を決めて欲しいとかポピュリズム提案を
する御仁まで出てきた。「ま、いつの世も社会なんてこんな
もんだから一喜一憂してもはじまらんがな。」つうのが
ワタシの意見。もともと社会システムなんて構成員の安全と
財産を最低限保証するもんなんだから、その手段の巧拙に
めげて自分がふしやわせに思うのなら、後先逆だってこと
だしょ?でも自分の思う正義・正論をあまねく世に広めたい
って大志を抱く者(紅旗征戎我が天命!)が世を騒がせて
いるような気も掏る。真面目に世のため他人の為って心掛け
はエエですが、まんず隣人と仲良くしましようね。タハッ