5月7日(金)「ブレる」を「ゆらぎ」に置き換えれば、それは生命の本質かも


 こんにちは。曇りのち雨。少しむしむし。沖縄はもう
梅雨入りだとか。アジサイにでかい蝸牛。







 生命科学において「あいまいさ」が見直されつつあります。
これは生命体というのがあまりにも複雑すぎて、とても通常
の厳密制御や厳密解析の範疇を超えてしまったからですね。







 例えば、脳細胞1000億個の結合組み合わせは数十兆の
オーダーです。3万個もあるヒトの遺伝子の生体情報伝達は
2の3万乗すなわち10の10、000乗もの組み合わせが
あります。これらをコンピュータで処理しようとしたら、
原発が1000基もいることになります。これを物事を厳密
に処理しようとしたときの「組み合わせ爆発」といいます。







 「秩序が安定を導く」というのは時に幻想であり、シンプル
な系においてのみ正しいといえます。生体とか社会とか経済
のような変数の多い複雑系では秩序志向の厳密制御は破綻す
るという例は多いですぅ。










 そこで最近生体系において提唱されてきたのが、「曖昧さ」
の導入です。つまり「自然界のゆらぎ」を排除せずに、これ
を上手く活用しようよ、というノイズを活用する制御方式で
すね。棋士などの「ひらめき」を研究した成果でも、これは
脳内の自発的な「ゆらぎ」を利用しているという事でした。
何気ないひらめきによって、網羅的な処理量が1/3000に
短縮されるとか。これがヒトのコンピュータに対する優位点
です。












 しかも生体は遺伝子やタンパク質などの分子レベルから細胞
、臓器のレベルまで、あらゆるところでこの「ゆらぎ」を利用
した曖昧制御方式を採っていると。細胞内は何千という蛋白質
が複雑な、活性化/不活性化の情報伝達経路(パスウエイ)を
形成していますが、実はこれらは複雑に見えてホントはシンプル
なんじゃないのか?ゆらぎを利用した曖昧性を導入すれば生命
の本質が見えてくるかも?との期待が高まってきますたよ。












 多少分かり難かったと思われますが、要はキッチリと厳密
かつ網羅的に物事を追求するのと、曖昧にゆらぎやひらめきで
事物を追求するのは規模や複雑性に依存するのであり、思考の
両輪であーる!っつうことでしょうか。









 あれ?まだ分かりにくいな。「ゆらぎの中で本質を見極める
のが宇宙の真理」(by ポッポ) タッハ〜