4月24日(土)何も考えない(思考停止)てのは実はイイことかもね


 こんにちは。雲の多い晴れ。やや気温戻す。そろそろ
コートやダウンジャケットを洗濯屋に預けに行こうかな?














 ネットを止められて家族を惨殺とかの記事が出てたな。
アメリカではゲームを捨てられて自殺したとか、携帯を取り
上げられたら家出したという記事が過去にあった。その
つながりこそが最後の支えって子供もいるんだから安易に
自分の価値観を押し付けたら惨劇を見るよ、とか評論家が
言っておった。ま、人のことなんざテケトーに論評してりゃ
おk?ってスタンスかな。だいたい自己反省してみると、
生活の大部分はデータや正しい統計を吟味せずにテケトー
に判断してるよな。そうでなくっちゃ参っちゃうしね。
その辺の弱みに付け込んでるのがマスコミや評論家なのか
なあ?















 もしも評論家がホントに第三者の目を持ちたけりゃ日英米
独仏ロシア中国のメディアに日常的に接していなくてはなら
んでしょ?個人では不可能だったらチームでもイイけどね。
そういう努力はあんまし見れまへんねぇ。弁当は時おり英文
を見てるからまだましか。文献学的な臭さが臭うことはある
が、ま、仄めかしの帝王ですからね。













 そもそもフレームの違いつうか視点の違いはバカの壁
違う物差し(説明方式)で計ってたら一致するわけはねーぞ
なもし。事実(〜である)と当為(〜であるべき)、今ここ
とあすなろ、現実と理念(理想)、個物と普遍、自分の現実と
法的な権利、実証主義と観念論、現実論と理想主義、現実肯定
か現状否定か、卑しくも頭を使おうと志した者が嵌る相克。














 一つだけ言えるのは、疑問を持たない人、行動の人、信仰の
人は考えません。苦しみ、疑い、迷うひとは懸命に考えます。
神を信じていない人が多かったから中世神学が発達したのかも?
論が起こるところ、そこは修羅の巷。普天間なんかはもともと
そんなにスッキリと決着してはいけなかったのれすね。タハッ