3月23日(火)グーグルだって一つの価値観に杉ないだろと相対化


 こんにちは。薄曇りときおり薄日。夜半弱雨。それなり
の気温。さぶくもなし、温くもなし。











 なんつうか「自由」関係の話題が多いですぅ。表現の
自由とかね。グーグル.cn.の査閲問題とか、都の非実在
青少年規制や児童ポルノ法の単純所持とか。ま、単純に
いへば世の中には言って(表現して)イイことと悪いこと
があるだろ?てなもんだが、「誰がそれを決めるんだよ!」
って事なのかな?人間のやることに恣意性を廃するって
極めて難しいしね。














 我らは自分らが住んでるコップの中からは、どーしても
逃げることはできん!っつう感慨が浮びます。地球の大気
はチェンバーみたいなものだ、とは別の意味でのココロの
問題でもね。所謂、社会通念(コップの中味)とか。全て
の価値観を相対化してしまったら思考の定点を失い、それ
こそ思考自体が停止してしまいます。価値観を絶対化した
ら信仰になっちゃうしね。どないせいっちゅうんぢゃー!














 ま、これはこの世でたった一人で暮らしてれば起きない
問題れすから、社会性のジレンマですね。社会通念をどう
形成するのかと。同じコップの中に住んでんだから住み
安くしようよ、とか。だから絶対的な真理ではあーりまへん。
ひとつ:社会通念の形成方法を公正化しませう。人民裁判
的でもなく、メディアのデッチアゲでもないようなのを求む。
ひとつ:経典、聖書、コーランなどで価値観を絶対化しても
エエよ。なんか合意して選べるのなら。
ひとつ:表現はまったく自由にして一切制限はしまへん。
の三つで殲滅戦をやらかすしかねーのかも。













 世界をはるかに見渡せば、それぞれが血を見るような課題
だからオタクがちょっくらブクマした位ぢゃ解決せんがな。
エログロ猥褻なんかは甘ったれ、国家反逆罪とかジハードの
処刑宣告とかは命がけ。物言えば唇さぶし自由かな。古く
中華を眺むれば、焚書表現の自由抹殺)や坑儒(内心の
自由も抹殺)は日常で、言いたいことをいへるのはホントに
貴重なことなのれすね。大切に大切にいたしませう。ホゲ