3月4日(木) 涙 涕 泪 波だ 並だ 


 こんにちは。うす曇り。日替わりで今日はちと寒ぶ。夕刻
から小雨ぱらぱら。






 最近ふと思うのですが、鳥ってけっこう頭イイんぢゃね。
スズメとかハトはたまたカモメなんかも飼い主を見分けて寄っ
て来るからね。鏡見て自分を認識する「ミラーテスト」にも
霊長類以外ではカササギっつうスズメ目カラス科のが合格して
るしね。最初は他の鳥だと思って、カッカッとか脅してるんだ
けど、そのうち首を伸ばしたり縮めたりツツっと歩いたり、
普段と違う動作をして、それが鏡の中のも同じに動くと、ジッ
と見つめて首の当りに自分からは見えないように付けられた
マークを気にするようになりテスト合格ですう。鳥のくせに
自己認識でけるなんてスゲーぢゃん。












 人間の特徴って道具や火の使用や言葉を話すという以外に、
笑うとか泣くって身体的でプリミティブなのがありますね。
笑うのは「ネズミの子供も笑うのだ?」という報告があるけど
涙を流して感情を吐露するって人間しか確認されてまへん。














 ふと思い出すのは「汚沢さんの涙」、最近では「真央ちゃん
の涙」と「トヨダさんの涙」。イロエロな涙はあれど成分は
塩分。何故に人間は涙なんかを流すのれしょうね?進化生物学
的になにか意味はあんのかな。ゴミが入ったとか玉ねぎ切った
とか欠伸したとかの物理的なのを除けば、大脳の働きが関係
してそう。道具や言語、笑なども過大に発達させた大脳が原因
だからね。













 悔し泣き、嬉し泣き、忍び泣き、大泣き、笑い泣き、貰い泣き
、寂し泣き、悲し泣き、思いやり泣き、共感泣き、・・・・・
などなど感情の種類や増減に比例してあらゆる泣き方があります
が、プリミティブには赤ちゃんの生存本能に結びついとりもす。
すなわち、笑って諾を伝え、泣いてイヤイヤを伝えると。これぞ
成長に時間の掛かる赤ちゃんの知恵ぞ。















 最早これまでとハラハラと落涙し辞世の歌を詠んで自害する
という日本人の美意識は、果たして毛唐に通じたるや否や。
でもココロの安定には涙を流したほうがイイって説はあるね。
それは大脳で産生された制御しきれない感情の化学物質を排出
する為にあるのだと。何となく即物的な解釈だけど、「物事に
は、何であれ理由があるもんだ。」という理(ことわり)に
従えば一考の余地有り。現にこれを試した奇特な御仁がござっ
て、玉ねぎの涙と感動の涙を較べたら後者に酵素がイッパイ
あったとか。近年ではこれをストレス物質の排出とか言って
ますぅ。我慢してストレスを溜め込むより、おお泣きしてサッ
パリしたほうがエエよ、とか。進化社会学的な「涙の効用」っ
て、それ以外には考えれんぢゃないのんかい。(でも、どんな
目的論的な解釈にも、「そりは、ただ単に何の意味もなく涙が
でるのだあ。」という反論はありえるな。我らが意味なく今
ここにこのように存在してるようにね。)














 さて、泣き虫なぼくからの忠告を一言。
泣く時は泣くが吉、笑うときは笑うが吉。無理を重ねる心根は
美しかれども、ポキンと折れたら終いぢゃけん、泣いて泣いて
号泣して、空っぽになった抜け殻に、新しい人生を詰め込んで
いけばイイんじゃい。はたの誰そ、そりを非難でけるのでせうか。


























 追記:泪はきれいですぅ。

前に、かだらの色んなとこから採取した媒体の培養実験をした
ことがあるんですが、だいたいどんな所にも菌は住んでます。
しかしただ一箇所、涙の中だけには一匹も菌がいなかったのだ
あ。(ま、培養可能な菌がいなかったって話だけなんすが。)
鼻とか耳とか舌に較べて、目がどれほど大切かって事なのかな?
涙の中にはリゾチームって酵素があって、これが細菌の細胞膜を
破壊するらすいんだ。涙って凄いね。