11月22日(日)きみにとってホントに確かなものってなんだい?

 こんにちは。さぶ曇りときどき小雨ぱらつく。自転車で
走ってたら耳がさぶかった。本格的な冬近し。渡り鳥が増え
てきた。ぼくらにはみんな同じに見えるけど、彼らはお互い
を識別出来るのだよ。だってちゃんとカップルがあるからね。







 ふむ。視覚や聴覚って感覚のメジャーだけど触覚ってのも
捨てたもんぢゃないね。バンダイが触覚オモチャをだしてます。
「ツッツキ箱」は指を穴につっこんで画面に合わせて色んな
触覚の錯覚を楽しめます。あと枝豆を莢からだす「ツルッ」と
した感覚とか、寒天を押し出す「ニュルッ」とした感触とか
を楽しむとか。穴があったら入れたくなる、取っ手があれば
引っ張りたくなる、つうのはアフォーダンスといって外部の
ブツが我らを吸引するようだ。穴があったら入りたい、つう
はんずるかすい思いはイッパイしてるけどね。プ







 いや、メカニカル・キーボードを調べてたら「これはイイ」
とか思ったことからの連想なんすが、意外と触覚って我らが
嗜好の盲点かもしれんな?とかおもた次第ですぅ。そう言えば
共感覚つうのがあって、各感覚が入り混じることが起きるとか。
数字を見ると色が出るとか、音を聞くと味がするとか。触覚も
視覚や聴覚に引きずられて、無いものを実感すると。こういう
のを聞くと、我らが現実はやっぱし脳内じゃんか?つう疑問も
湧きますね。










 音楽にも構成があって、文章の句読点みたいな終止形がある
と。ジャジャジャジャーン♪という最後の音なんか。その音を
聞くと、これは終わりの音だ!とすぐに分かるのが人類共通
なんだって。それも途中の終わり音(半終止)と最後の終わり
音(全終止)があって、人類共通にそう感じるそうだ。不思議。
なんでやねん?とか思うけど、楽しい曲や悲しい曲がある位
なんだから、終わりの音があったってイイような気もする。
この終止音と、休符や繰り返しパターンで階層構造を作って、
それで壮大な楽想を構成するんだって。なんか、文章と似てる
ね。脳の構造の類似性に基づいているのかもしれません。








 我らが意識は認識から始まったのか、はたまた認識が意識に
よって齎されたのかは、どっちでもえ〜!生命は生まれたとき
から何らかの外界物質を認識して反応するようにでけとるんぢ
ゃあ〜!刺激に反応しなくなったら、それは無生物。だから、
われら人間も喜怒哀楽の巷でウゴウゴのたうつのが正しいん
ぢゃああ〜!







 だいたい我らが身体意識すら怪しいもんだからね。プ
これだけは疑いようが無く確かなものだとおもうても、視覚
と触覚で騙したら、すぐに幽体離脱しちゃうもんね。ガハハハ










 でも、「なぜ我らは斯くあるのか?」つうのは幾ら科学が
発達しても永遠の謎ではありまするね。タハッ
我が尊敬するエントリ、


<銘記せよ、秒速で>を勝手にリンク。