11月6日(金)自分とは何か?なんて自分では分からないよね

 こんにちは。晴れ。穏やかな秋の一日。







 野党でも楽しそうぢゃん。プ 
権限は無いけど言いたいことが言えるよ。プ
でも、陳情団が来なくて淋しいんぢゃないのかな?プ
役人もちっともこっちを振り向いてくんないからつまんない−イ
しかしハイハイハイと慇懃に聞き流されてたら
頭にくんだろーな。ゴクロウサン
議論を通して意見を集約していくってのが論戦であって、
意見が当初から変わらないのは単なる依怙地てことで
ブレないとはちげーんぢゃねえかい?











 「全体と部分の問題」つうのも古代ギリシャから議論され
てる古い問題です。つまり「全体は部分の総和である(プラ
トン)」か「全体は必ずしも部分の総和ではない(アリス
トテレス)」か。
 











 現代でも「メレオロジー(部分学)」つうのが論理学、
ブール代数などを使って研究されてます。また臓器移植
で部分を変えたときに何処までが自己と言えるのか?とか
事故で手足、脳の一部を無くしたときにどこまでが自己と
言えるのか?などが、物体としての同一性と精神・意識の
同一性の観点からも議論されとりもす。








 現代理論物理でも通時的な同一性で四次元で見れば同じ
ものでも時間が違えば同一ではなーい、とかいう見解もある
し、量子論のように色々な歴史性を持った状態が重なりあっ
て同時に存在している。観測によって一つに収束するとか
存在論オントロジー)の根底をゆるがす見解もありもす。







 先端物理学が哲学の永遠の課題に接近しているってとこも
おもすろいですが、やっぱし自己というのは何処までが自己か?
意識の同一性とは何か?との人間に関したことに一番興味が
湧きますね。一卵性の双子の人とか、もっとラディカルには
仮にクローンの人間が出来たら自己の同一とは何かとか。
端的に言えば人間はDNAとか物質だけでは決まらないと僕は
思うわけです。だから幾ら臓器移植をして殆どかだらが変わっ
ても、意識の連続性と統一性さえあればこれは自分だといえる
です。か?








 でわ、意識の統合と連続とは何か?それは歴史や環境との
相互作用で培われて構成され記憶されている仮想実体である、
と言うことです。つまり波のように、実体ではなくって一つの
現象が意識であると。つうことは、記憶を操作されたら自己は
なくなちゃうのかな?経験がないから分からんが、そんな気も
する我がこころ。







 なんか、だんだん侘びしくなって来たぞ。記憶が自己なら
アルツハイマーになったら自己が消えてくってことかい?
認知症になったら自分は消えると。それでしむと自己は無く
なって共通意識に統合されていくとか。う〜ん。味気ない。
漏れは死んじまったら、とっつあんやおっかさんに会いたい
んだけどな。でも、ボケちまったら何にもわかんないかもね。
クククククッ