9月14日(月)ごめんなさいは自分への赦し、かな?


 こんにちは。晴れのち夕方曇り。爽やか。




 海外から見ると日本人はつくづく関係性のなかで生きてるな
と感じます。だから名刺なんてものが発達したとか。所属とか
役割がないと片身の狭い社会ですぅ。ま、一種のセキュリティ
なんでしょうね?江戸時代は無宿人つうだけで召し取られて
石川島の人足置き場に放り込まれましたど。トホホ







 例えば、社会的な暗黙の掟に逆らうのが如何に辛いのかは
学生用携帯用具に思いを致せば足りまする。小学校のランドセル、
これを大学まで使い続ける人はまづ居ません。ブツとしては
使えるのにねぇ。これは日露戦争の頃に兵隊さんが背嚢として
使ってたのが起源だから大学生が使ったってちっとも可笑しく
ねーぜよ。それにおいらが若年の頃は中学に入ると肩掛け鞄、
高校に行くと手提げ革鞄、で大学に入るともう勉強しなくても
イイから何にも持たないとか。ププ せいぜいバンドで結んだ
本を肩に掛けるくらいですねえ。なんでこんな変な習慣を壊せ
ないのかっつうと、それは暗黙の社会のおきてに逆らうと後ろ
指を差されたり苛められたりするから。変な社会ですねえ。










 こんな例はイッパイありますよ。自分たちは常識で当たり前
だと思っていても、違う社会から見るととてもオカシナことが。
だから冷静に自分の社会を見つめるには、どこでもイイから
一度海外生活を経験してみることをお奨め致しますう。









 例えば、欧米人は自分の非を認めると不利になるからぜってえ
謝らないとか。これはそうかもしれない。「この件は当方のミス
です。全額弁済します。」とは中々言わないけどね。でも、「ご
めんなさい。」とはよく言うね。「エクスキューズミー」とか「パードン」
とかは。ちょっと行く手を遮ったり、小さな迷惑を掛けた時など。
これは日本人の方が苦手。ちょっとしたことで、「ありがとう」
とか「ごめんなさい」とか言えません。所謂、以心伝心に頼って
いる。










 「ごめんなさい」が言えなくなる心理って何なのだろ?単なる
利害だけぢゃないような気もする「それを言ったらお終いだ」感。
「おれは間違ってなーい。おれは正しいんだ。間違っているのは
愚民たちだ!」とか為政者が思ってなければイイのですがね。ハァ









 そろそろ明澄な秋の月見の季節ですね。静かに宇宙と対峙して、
越し方行く末を思う秋(とき)。