5月19日(火)哲学な夕べ。自己を映す鏡は夢幻の境地


 こんちは。うす晴れときどき曇り。爽やか。
栴檀のうす紫色の花が満開です。とても良いかおり。
真紅のバラの花の名札を見たらイングリッド・バーグマン






 花の美しさは昆虫の為にあるのです。昆虫を引き寄せて受粉
を行うための誘惑です。もしも昆虫がいなかったら花々は
こんなにきれいに粧おうことはなかったでしょうね。
でも今ある園芸植物の大半は人間がさらにその美しさを引き出
したのは確かでしょう。真紅のバラ、蘭、菊、牡丹やチューリップ。








 他者の動きを自己として認識するのがミラーニューロンです。
これが共感の素。これは自分を自分として認識する素にもなって
ます。自己意識は他己意識。自分を対象化して客観的に認識する
のが自己意識。しかしこのとき認識主観としての自己と対象とし
て客体化された自己は主客分裂してしまいます。





 分裂しないで自己を意識する事は果たしてできるのか。西田は
「自己のうちに自己を映すこと」を”自覚”と言ってその哲学
体系の基礎とした。自分の内へ内へと展開する無限の体系。
これを自国の本当に正確な地図を描くことにたとえています。
「自分がいる場所の地図を正確に書くには、その地図を描いてい
る自分も書き込まなくてはならない。そして彼が描いている
地図そのものもその中に書き込まれている。そしてその地図の中
には書いている自分と描かれている第二の地図と・・・」と合わ
せ鏡の間にいる観察者のように無限に写しこまれる内展・・・







 自己認識には上記の再帰性(自己言及性)が必然的に含まれ、
それはまるでフラクタル図形のように自己を無限に織り込みなが
ら展開していくひとつの無限システムとして表わされる。
これが単に主客2分された二元論にはない自他合一した無限体系
を構成することになる。禅的な主客未分の実践体験からきた
一つの東洋的な思想と言えるでしょう。






 ね、分かった?合わせ鏡なんて面白い例えですよね。数学的
帰納法でも使われるけど、左辺と右辺に同じ関数を含んで自分を
定義する手法って意外と奥が深かったんだ。入れ子構造そのもの
がその本体を定義している不思議な構造。それが自己意識だす。






 んで、例だけはよーく分かったんだけど、わたしの心が少し
も分からないのは何故でしょう?それは自己を自己のうちに捨て
ると言う、実感つうか実践がないからですね。つまり畳の上の
水練とか。でも、水練の真似してるうちになんかかっこうが付く
のでわ?とか門前の小僧習わぬ教を読む毎日なのれす。ジャンジャン