3月29日(日)知識暴発に対する日曜日の無駄な考察


 こんにちは。うす晴れ。やや寒い。
方々でお花見が始まりましたが、花よりお酒で暖まりたーい。





 「〜のためだから。」「〜のためだから。」というCMが良く
聞こえてきますね。普通は「目標管理」とか言ってとても大切
な概念なのですが、何となく欧米的なにほいがします。つまり
効率主義で無駄な事はダメダメ害悪つう考え方。科学万能主義
にもどこか通底してそうですぅ。最近は科学真理教の狂信者み
たいのまで出てきて全ては科学で説明できるのだあ!とかほざ
いてますねぇ。









 この考え方は事物の体系化というギリシャ以来の伝統にも
現れてまするよ。体系化、構造化、統合化されてない知識は
単なる雑学であってモノの役には立たないっつう考え方。い
やしくも学問つう名を冠するからには体系化せにゃならぬ、
とかね。








 ぼくはもともと気質的にこういう考え方には馴染めなかっ
たのですが、最近のように研究が急膨張して膨大な知識が、
あらゆる分野で爆発的に増えてくると、やっぱしそれぞれの
細分化され深堀された分野を全体として眺めて構造化する事
も必要かなぁ?なんて日よってます。








 でも、「なんかの為に!」なんて目的を付けるとすぐ功利
的になって、何の役にも立たない(と今は思われてる)研究
は阻害される恐れが出てくるから、ネットワークを通して
自然発生的に構造化されるのがイイんぢゃないのかいな、と
思います。一見難しそうだけど、自然の生態環境や人体構造
などはもともとこういうシステムになってるからね。もぞも
ぞとやり取りしてる内に自然に役が決まってジグソウパズル
のピースが嵌って行くような具合に。








 ま、なんか「神の見えざる手」みたいに見えるけどホント
は隠れたプリンシプルつうのかDNAみたいのが芯を通している
という考えもありますね。ともあれ、各ノードが自分なりの
視点を持って全体を把握しようとする努力がなくっちゃネット
も有効に働かないつう事ではないかな。








 ますますブラック・ボックス化してくネットワーク構造体
っつうのが21世紀のキー・コンセプトになるような希ガス