3月21日(土)テレビの影響力は衰退してると言うけれど


こんにちは。晴れのち雲多し。ややさむ。
街路樹の芽がすこし綻んで春を待つ。





 ソーリの発言、「やっぱり株屋は信用されていない」とか
報道されてたけど、この方は正直に何でも言っちゃうから問題
を醸す。この方の半径2m以内に入れればみんなイイ人と思う
らすいぞ。口ひん曲げてブリブリ言ってるのしか見えないから
評判が悪い。






 と、今は映像の時代。エイガとビーテレの世紀。TV放映が恥
待ってからもう55年も経ってしまった。でも日本の政治家は映
像の特性について何にも勉強していないね。プ
例えばチーム・オバマ1000人の内の100人は演出スタッフですぅ。
演説草稿とか衣装、笑顔、仕草などなど如何に大統領として
世界にアピールするかを日夜考えています。だから大統領の発
表は壮大な劇場なのです。翻って、日本ではぶら下り記者があ
ることないこと聞き書きで、普段の態度は素っ裸。これぢゃあ
馬鹿も裸足で逃げていく。







 漏れも新橋でインタブューを受けたことがあんだけど、5分
喋って放映は10秒、しかも一番おバカなコメだけっつうアホ
らしさ。映像はそれはそれで真実を伝えてますが、切り取った
真実。切り取り方は編集次第という怖ろしさを政治家諸君は
ホントに認識しとるのかねぇ〜、ウオッホン。






 この辺に天性のヒラメキを見せたのが小泉劇場。「痛みに耐
えて良く頑張った。感動した!」の2秒半コメントで国民の心を
掴んだ大相撲。ワン・フレーズ・ポリティクスとか揶揄された
が言ってみれば政治とはこんなもん。(それで本音は:沢山喋
ると、いちばん嫌なとこしか使わんから言わんのだよ。だと)


この辺はシットラーに似てるかもね。「大衆とは物事を受け入
れる能力に限度があり、理解力が無い。そして少し理解した事
もすぐに忘れる。だから、必要な極わずかなことを、決まり文
句で繰り返すのが大衆に浸透する効果的な手法であーる。」と
大衆を馬鹿にし切ってますたよ。






 シットラーは映画の時代だったが、この映像文化を極めて有
効に活用した。欧米の政治家はビーテレを目イッパイ活用して
いる。しかし日本の政治家はただ単に映像に振り回されて言葉
の軽い男として、ひょうきん者になっている。でもね、どっち
がイイのかは僕は言わない。ただメディアの特性を言っただけ。
中川(酒)氏も映像が無ければもうちょっと粘れたかも。福田
のじいさんも「あんたとはちげーよ!」の最後の付けたしさえ
言わなけりゃ、冷静に自己を客観視できる政治家として評価が
あがったかも知れない。






嗚呼、テレビの時代がもたらした言の葉の軽さよ。TV受けしよ
うとして、ペラペラしゃべくって更に言葉が軽くなる悪循環。
書き物でとても良い事をいってる人と実物でしゃべったら、単
なるお調子者という例はイッパイありまするよ。だから、一皮
剥けば人間なんてみな同じという詰まらん感慨も湧いてくる。








 しかし生活のバックグラウンドのように浸透したビーテレは
量の重みつうのは依然としてありますね。いくら馬鹿にされて
ても視聴率10%は600万人が聞き流し視流してますぅ。漏れ
のコメも600万人が見てたと思えば将にアホを天下に晒したと
言う事になりますが、こんなのを気にしてるのはだーれもいま
せん。使い捨て垂れ流しの時代ですぅ。ジャン





 さて、アジの干物でもあぶってビールを飲むとするか。最初
の喉越しだけが生き甲斐じゃあ!