こんにちは。雨のち曇り。風強し。
近所で「死ぬ事は悪くねい」というのをチラ見した。イイ・
ワルイはともかく、知って分かることと心から実感することの
違いは大きいなとか思った。
生物は必ず死ぬし「死なない人間はいない」つうことは身の
回りや社会、世界または歴史を学べば誰もが”一応”理解して
るんだと思う。でもね、口先だけではなくってホントに解ると
いうのには言語だけでは至れない深い深い断絶があると思う
んよ。
だから悟りとか天啓とかは論理ぢゃなくって身体の修行を以
ってしか辿り着けないと言われてる。頭と身体の相克とか心身
問題の発する所以であーる。
頭で考えてるのとかだらっつうか本能の反応は全然ちげーよ!
死ぬ目に会った人は、その状況から抜け出したら、まづココロ
よりもからだが慶ぶんですぅ。それで目に見える全てがとても
美しくみえるんですぅ。あたまでどう考えても、これは自動的
にこうなるんですぅ。世界の全てが好ましく暖かく美しく見え
るンですぅ。
「今までは人が死ぬかと思うたに、俺が死ぬとはこいつぁ
たまらん」なんて辞世を残した江戸時代の戯作者もおりまし
たが、そのうちみんな全員一人残らず例外なく仲良く一緒に
あの世へ逝くかと思えば、何とはなしにほのぼのと思えて
来るのも、口先だけではなくってホントに人間必死が理解で
けた功徳かな?テヘッ
でも、考えても考えなくても、一所懸命生きてもぐーたら
生きても、良く生きても悪く生きても、義に生きても欲に
生きても、満遍なく一様に死は降りかかってくるからね。
結局、より良く懸命に生きた方が得だなって損得勘定かYO!
コンニャロー!!!
折角だから、本稿は折にふれ触れたいとぞおもほゆぞい。