2月20日(金)イイ・ワルイの問題ぢゃねえだろとか思った

 こんにちは。雨のち曇り。風強し。




 近所で「死ぬ事は悪くねい」というのをチラ見した。イイ・
ワルイはともかく、知って分かることと心から実感することの
違いは大きいなとか思った。







 生物は必ず死ぬし「死なない人間はいない」つうことは身の
回りや社会、世界または歴史を学べば誰もが”一応”理解して
るんだと思う。でもね、口先だけではなくってホントに解ると
いうのには言語だけでは至れない深い深い断絶があると思う
んよ。







 だから悟りとか天啓とかは論理ぢゃなくって身体の修行を以
ってしか辿り着けないと言われてる。頭と身体の相克とか心身
問題の発する所以であーる。







 頭で考えてるのとかだらっつうか本能の反応は全然ちげーよ!
死ぬ目に会った人は、その状況から抜け出したら、まづココロ
よりもからだが慶ぶんですぅ。それで目に見える全てがとても
美しくみえるんですぅ。あたまでどう考えても、これは自動的
にこうなるんですぅ。世界の全てが好ましく暖かく美しく見え
るンですぅ。






 「今までは人が死ぬかと思うたに、俺が死ぬとはこいつぁ
たまらん」なんて辞世を残した江戸時代の戯作者もおりまし
たが、そのうちみんな全員一人残らず例外なく仲良く一緒に
あの世へ逝くかと思えば、何とはなしにほのぼのと思えて
来るのも、口先だけではなくってホントに人間必死が理解で
けた功徳かな?テヘッ








 でも、考えても考えなくても、一所懸命生きてもぐーたら
生きても、良く生きても悪く生きても、義に生きても欲に
生きても、満遍なく一様に死は降りかかってくるからね。
結局、より良く懸命に生きた方が得だなって損得勘定かYO!
コンニャロー!!!







 折角だから、本稿は折にふれ触れたいとぞおもほゆぞい。