1月25日(日)美しいってなんだろな?

こんにちは。快晴。さぶい。久しぶりに富士山が薄らと見えた。
どーも今までのところ今年は渡り鳥が少ないような希ガス
ベランダを片付けていてド疲れた。当分我が菜園は休止です。
大規模修繕つうのに半年もかかるらしいんだ。ホゲー







 ちょっとシニカルな言い方になりますが、「美的感覚」って
極めて主観的なような気がします。その辺に落ちている石ころ
を集めて「う〜む、美しい!」と悦に入ってたり、カラクタを
集めてきて組み合わせたりするアートとか。絵画だって印象派
初期は「まるで幼児の絵だね、フン」なんて著名な評論家から
馬鹿にされてたしね。







 特に顔面の美醜なんてモロに社会文化習俗習慣ハロー効果
流行すたりなどに大影響されまするぞい。プ
パリなんかでは黒めの東洋顔のマネキンが多いけど日本では
白めの西洋顔のマネキンが多いですぅ。江戸時代なんかは西洋
顔は毛むくじゃらの赤鬼とかキモ悪がられてましたが、今では
彫の深い理知的な顔とかハローが掛かりました。同じ民族でも
時代による変遷は激しいですね。






 すべての事物やものの見方は常に変遷し永遠に同じことは
なーい!という無常観を真理と認めれば美の感覚なんかも一定
(いちじょう)ならず。喝!だから美醜で悩むなんてナンセンスー。





 でもね、蜜蜂だったらいざ知らず人間には人としての普遍性
はあるような気はします。もちろん例外はありますが、新緑や
桜吹雪、錦秋、今日のような夕空のグラデーションなんかは見てると
涙が滲んできます。





 で、共感覚の不思議さを書こうとか思ったけど千秋楽の決戦が
始まるからまた明日。では。