12月27日(土)ジコチューの殻を打ち破ろー!


こんにちは。快晴。少し寒さゆるむ。富士山が良く見える。
スポットに来て見たら、昨日の風で渡り鳥がみんなどっかへ
行ってしまったよー!






 諸君にはうっすらと分かってるとは思うけど、今年のぼくの
主題は「我(ぼく)とは何か?」なの。たぶん来年は「汝(きみ)
とは何?」になる予定。だから関係性を求めて本気でトラバを
やるかも。







 宇宙的な見地、地球的な見地、生物的な見地、哲学的な見知、
心理学的な見地、小説的な見知、細胞学的な見地、人類学的な
見地、脳科学的な見地、・・・・・などなどはすべてここに
繫がってんの。いわゆる自己中だった一年間ですたよー。








 武蔵・宮本のお言葉:「我ことに臨んで後悔せず!」
カッコいいね〜!しかしわざわざこの言の葉を「五輪の書」に
残した心境を斟酌すれば、彼はいっつも後悔ばっかししてたん
ぢゃねえのかなあ?もともと後悔なんかしない人ならゼッテー
こんな言葉を残さないよね?(ちょと人が悪いけど)








 「我、ヒトの言葉を斟酌せず!」、「我、人の言葉に価値を
認めず!」と声高に言う人の心中を案ずれば、ただただ滂沱と
涙流るるのみ。嗚呼、ナウ・アラース! ぼくもいつも散々と
言ってきたような希ガス。自然に無理なくそういう心境に達す
るのと、言葉や観念によって納得させるのとは無理の度合いが
ちげーよ!ちげーよ!








 でもね、これがヒトの宿命ですぅ。前頭葉を目イッパイ発達
させ、推論や概念によって生きてるホモ・サピエンスの生き方
なのれす。単に自然体で暮らしているのなら犬や猿や雉と同じ
ですぅ。で、けふはヒトが増幅させた原始感情の一つ、妬み:







 これは、シツコイですう!自分でも知らん内に自己の内心を
歪めまするよ。意識に上って態と嫌がらせをしているうちは、
まだまだマシでやんす。罪の意識があるし自分は嫌なやつだと
思っているから。






 でも、諸君も何となくこやつはいけ好かないなあ、とか肌が
合わないなあ、とか「バカの壁」があるな、とか無体に感じる
ときがあるでしょ?





 こいつが曲者です。意識の表面にはのぼって来なくても、裏
で悪さをしてるのは「妬み」なのです。意識の表面では必死に
合理化を図り、まっとうな理由を付けては見るものの、その
根源は「嫉妬」なのですから、すべては空理空論。






 もしも諸君が嫌な奴に生りたければ、「嫉妬史観」つうのを
構成できるかもよ。国際関係から政治、経済、社会、文化、文
芸、芸術、お笑い、科学、井戸端会議、ムラビト、恋愛、結婚
、子育て、お遊び、幼稚園、乳児、・・・・・・
どこを取ってもこれで説明できるよ。










 でもね、ぼくはね、・・・・・・・・・これ以上の強さでね、
「共感史観」ってえのを確立できればイイなぁ〜!とおもてん
です。事実を認めるのと、あるべき姿を追い求めるのとはまた
違いマスカラね。