12月3日(水) 人はひとりでは人たりえない、かな?

こにちはー。快晴。すこし暖か。雲ひとつ無く富士山が良く見えま
した。おおーっ!西の方、天空を見やれば金星と火星がランデブー!
満月>>>>>>>>金星>>>火星>その他諸星。かな?







 ちょと思い出したけど、「人間学」の祖は火河*1さんだった。
「神が神に似せて人間を創った」という神学に反して、「人間が
人間に似せて神を作った」と反転し、更に、人間の本質の良い点を
理想化したのが神である、と弁証法的に反定立して見せた。









 なぜこのような思想に至ったかっつうと、神の栄光を語れば語る
ほど、それに反比例して人間がミジメにみすぼらしくなるのは自己
疎外であると気が付いたから。すなわち、最も親密であるべき神が
人間から疎遠になり超越者になってしまったのだ。そこで主語と
述語を転置してみたようですぅ。









 で、キリスト教における黄金律は何かっつうと、「汝のせられん
と欲することを隣人に施せ」、つまり自分がして貰いたいことを
人にするのがイイのだと言う教え*2ですぅ。神はナンである”愛”で
ある、ですか? つうことは火河氏によれば、人間の本質は"愛”で
あーる!となりまする。これは深い!深すぎる!









 今まで哲学と言うのはもっぱら精神とか本質とかこころとか自我
とか、独りだけの人間が孤独に一人だけの精神に沈潜して考えて
キターぁ。しかし、愛となるとこれは我と汝(汝ら)の関係、その
統一が基本となりまする。だから理性なんつう唯我独尊ではなくて、
感性が大切だよ、身体・性別をもった生身の人間の「愛」つまり人
との関係が大切だよ、我を知りたければアナタがどうしても必要に
なりますよ、という人のあいだ、つまり「人間学」を提案したので
した。






 まとめると、俺が俺がの自我ばかりだと縮こまる、あなたとの愛
が育む人間性、ってなとこかな。「汝」の発見者としての火河さん
はそんな意味でももう少し見直してもイイと思うんだ。「愛」つう
のも曖昧かつ幅広い概念ですから、そのうちまた考察するかもかも。






 

*1:フォイエル(火)バッハ(河)という幕末頃の思想家。ヘーゲルマルクス・エンゲルスを繋ぐ隠れた優れもの。

*2:ブログ主のシニカルな見解によれば、これはいささか片手落ち。つまりあなたがしてもらいたいことを忖度して、あなたに気付かれないように行うのがイイ。そうでなければ自殺したい人が人を頃してしまいますう。チャカすな!