11月25日(火)つまらん存在論、暇つぶし。


こんにちは。晴れのち夕方から曇り。カエデの実がクルクルと
回りながらいくつも落ちてくる。イチョウのまっ黄色な落ち葉で
敷き詰められたペーブメント。







 物体が在るのはまあまあ頷ける。形相があるから。水とかの液体
や空気とかの気体が在るのも形相はないけど質料が波や風とかで感
じられるからよしとしよう。ところでこころは在るのか?あるよう
な気もするし、ものとしてはないような気もする。パスカルやデカ
ルトはこころは在る、しかも考える我だけが疑い無き実在だと信じ
ていた。







 しかし脳科学の進展によりこころは脳内の作用であって存在する
実体ではなーい、という考え方がじわじわと盛り上がってきました。
あるのは神経ネットワークと脳内物質による機能であってこころ
そのものは身体と独立して存在できないという知見。ま、機能でも
作用でもそういう形で在ると言えばいえるのかもしれない。







 エネルギーはあるのかどうかっつう範疇。エネルギーは物質と
等価であーると一石さんも相対的に言ってたしね。ここでやや、
やっかいなのは穴ぼこや泡は在るかっつう設問。ものの欠如を在る
といへるのか?宇宙の成り立ちのブラックホールとかそこまで行か
なくても半導体の中で正孔つうのはとても大切な働きをしてるし、
身近では水中の泡なんかは単なる巨大な水塊にできた欠損だという
以上に存在感はありますね。泡同士がぶつかって縺れたりとか。








 そうそう細胞のなかに小胞つうのがあって、これは内なる外部で
細胞の外とのやり取りに重要な役目を果たしている優れもの。とか
色々と例を挙げれば穴はあるよと言いたくなるが、はてその定義は?
「ある物体の補空間(外部空間)のうち、外的連結していて充填可能
な部分にある非質料的持続体を指す依存的対象(dependent entities)
であーる。」つうのが哲学的な定義です。やはしあるのかないのか
はっきししないけど、諸君は道路工事の穴には気をつけてね。
あるか無いかを考えてるうちに大怪我するかもよ。いやはや。プププ