11月19日(水)哲学な秋(とき)、歴史に夢を架けた人


こんにちは。快晴。青くて高い空。やや風が強いです。



 昼休みにベンチで空を見上げてたら、イチョウの黄色い枯葉が
風に舞い上がって真っ青な空に吸い込まれて行った。キラリと
光るものが視野の隅に入ったら、それは1万メートルの上空を
西に向かうジャンボの羽だった。どこか遠くに行きたいなあ。
風に乗って風に乗って、飛んでく、飛んでけ、でけでけでけ。







 歴史といへば、ノーテンキなヘーゲル進歩史観でしてね。
自由の意識の拡大が進歩の歴史であーる!なんてのたまってた。
1.東洋の君主は1人のみの自由。
2.ギルシャローマの自由人は少数の人間のみの自由。
3.ゲルマンのカール大帝キリスト教で全ての人間が自由に
  なれた。
と自由の偏見大盤振る舞い。それで絶対者(神?)がそれぞれの
時期に中心的な民族やナポレオンなどの英雄を操って歴史を進展
させてきたのだ!つう「操り人形説」で理性の狡知を説いた。





 ね、今から考えるとトンでもないアホでっしょ?でも、当時は
世界全体が「自由」で踊まくってたからね。無理もない。
しかし、弁証法つう現実の見方、考え方の方法を考えたとこが偉い。
これは、一切のものは矛盾・対立を原動力として発展していくと
言う、極めて現実にメゲない考え方でとてもポジティブであーる。





 現実は不合理とか不条理つうのが常ですから、これを肯定した
とこは偉い。そしてそれをメタな視線で眺めて一段上に上ると。
そしてそこでもまた生じる矛盾を、もう一段上の視点でながめると。
まとめて見ると:
正→反⇒合
有→無⇒成
肯定→否定⇒再否定(肯定)
定立→反定立⇒綜合
と押せば押し返す弓と弦のように反立が強い程、矢は遠くに飛ぶ
のたとえ、労働者と資本家を綜合してしまったとか。ホゲー








 しかし論理体系としてではなく方法論、考え方としては有用だと
思いまするよ。なにしろ現実は理性的で、神様は現実的で個々の人に
浸透して自らを現わし発展して行くんだというオプティミスティックな世界観
マルキシズムを通して後世の人々に無駄に血を流させたんだから。








 ぼくがこの論から汲み取ったことは、上から眺めれば良く見えますが
虚しいということかな。良く見えるが空しい。良く見えるほど空しい。
永遠のトリアーデ、どんどん続く三分枝、完結しない罠。でもね、
具体的な個物から入って、現実に足をつけ、上ぢゃなくって下、自分の
内部にもっともっと入り込んで、歴史とか発展とかでかいこと言わない
ほうが僕の性分に合うってことかな。プ