11月15日(土)ユー(他者)とミー(自己)とで世界はできてるカー

せぶーーーーーん





こんにちは。曇り、のち一時小雨。
最近は蜜柑を山のように食ってます。手が少し黄色くなったような。
今日は横浜に行ってきた。港町。ぁ界靴ぅ〜はぁいてたぁ女の子ぉ、
イジンさんに連ぅれられて、いっちゃった〜♪ヨコハマのダサい所
が大好きだ!







 「ユーの為だから、ユーの為だから」と残業を押し付けたり、
ケーキを取り上げたりするコマーシャルが流れてます。ふと昨日の
ダチの話を思い出した。「俺、最近イイ人になろうと思ってんだ。
どーせ生きてるのなら人のタメになりたいよね。」といったら、
彼奴は、「人の為とか自分のタメとか、そもそもタメというのをはっ
きりさせないと無意味だ」とかゲ崩壊の連鎖を導くような言葉を吐
きやがった。









「なになにのため、ということは現在の状態とか行動を犠牲にする
ことだからかなり慎重かつ厳密に定義しないと、タイヘンなことに
なりますよー!」と茶々を入れてきた。そういえば他人の為とは何
か、その人がホントになにを望んでいるのか、その人が望んでいる
ことでもホントはその人のためにならないこともあるのではないの
か、そのひとのためにと思っていてもホントは一人よがりではない
のかな。良く考えよー!ズッシーン








 と斯様にひとの善意に水をさすことを良くやる奴なのだが、言わ
れてみれば確かに自己満足、偽善的なこころは無しとしないから辛
いところ。もともと彼奴は「〜のタメに」ということがそれが如何
に美しい目的であろうとも現在を犠牲にする価値はない、いやその
目的が美しいほど、正しいほどそれが現在に及ぼす害悪は大きくな
る、というキリギリス人間であった。面白みはないが堅実な人生を
送るであろう。プ








 自分のため、家族のため、地域社会のため、会社のため、日本の
ため、世界のため、地球環境のため、太陽系のため、銀河のため、
宇宙全体のため、ためためためためはどんどん膨脹して果てしなく
ふくらみビッグバン。どーーーーーーーーん。









 しかし、「ため」の定義はたれそやる。それは断言し言い切って、
自信満々にすべてをリードしたがる人の手に委ねられます。
それはユーではないのれすか、そうですか。










 アテンション!「本当に〜のためになるのか?」は魔のことば。
けっして深く考えてはなりませぬ。どつぼに嵌まって仕舞いますう。
アッハトゥング!「それはユウの為だ、ミーの為ではなーい!」と
いう言葉に騙されてはいけません。ホントのこころを言うひとなら
ば、「それはミーの為だ」と言うでショー。何故なら、人が分って
いることは自分のことだけなのですからね。
今日も酔ってるねぇ。
タブン