11月6日(木)粘着、執着は人類の宿命か

こんにちは。うす晴れ。すこし暖か。木々がだんだん色づいて
きて秋深まる。電線に野鳥がびっしり並んでお話ししてる夕方。
鳥たちは寝るまでの間、必ず今日一日の終りにおやべりをします。







友愛とか仲間を愛するって人間だけなのね。更に永遠の愛を誓う、
なんてのもそうかな?でも鳥って生涯ワンペアだよね。狼もそうだ。
でも鳥や動物には粘着愛・ストーカーってないな。ライバルと競争
して一生懸命にアピールするが、振られたら案外あっさりと諦める。






一方、家族や仲間を殺されたら敵を怨んで復讐を誓うのも人間だ。
野生の動物には怨みや復讐ってあまり無いような希ガス。子供を
食われた象が大挙してライオンを襲うなんて聞かないもんね。人間
だけはいつまでも恨みを抱えて相手を滅ぼそうとする。






ま、今は法律に任せて代行復讐に委ねているけれども、元々は
あだ討ちなんてのが許されてた。矯正主義と報応主義の間でゆれる
死刑制度も人間の感情は無視できん罠。国際的に色々と言われて
ますが。あ、ぼくは手段としての悪は反対の立場ですぅ。でも人間
の本性に根ざした感情は遺憾とも致し方ないとこがあります。






しかし仲間への愛と仇への復讐つうのも同根で裏腹の感情のような
気はしますね。昔から小説の一番大きな主題ではあるし。この愛憎
つうのが人類繁殖のかなり大きな要因で、類縁種を滅ぼして行った
んぢゃないかと思う次第。だから激怒や激愛は人類の宿命なの。






でもね、宿命とか事実を認めるのと、自分の生き方や理想を追うの
は別の話しだからね。そうぢゃなくては人間としておつむ与えられ
てる意味がなーい。相克ってのは何処にでもありまする。では。