10月25日(土)ケヤキを見て人生の四季を考える

こんにちは。曇り。ザ・ウェザー・イズ・スレトゥニングって
表現かな?ついこの間、青々と萌え出でた新芽がもう既に黄色く
色付き始めた四季の移ろい。




そう言えば、イヌイットには色の表現が少ないそうですね。生活に
密着してないと言葉も少なくなるとか。日本の色表現は世界一。
lifeも日本語では生、生活、人生、生命・・・とか色々とあります。
これは生に対する思考が豊富なためかな?leben(独)、vie(仏)
も皆一つしか表現はなーい。




生(死)に関しては二通りの考え方が大昔からありますね。

プラトン流:生はどっちかっつうと不純な肉体に囚われた仮の場で
あって、死こそが肉体からの魂の解放であり浄化であーる。

エピクロス流:生こそがモノホンであり感覚に由来する。死とは、
プツンとスイッチが切れるように感覚が失われるに過ぎない。





で、前者はだから現世は正しく浄化されるための修行・練習の場、
本当の生は天上にあり。後者はスウィッチ・プッツンを予想して恐れ悩ん
でも無意味、現実の生を豊かにし楽しむべきであーる。と要約でき
るかな?事実として自分の死は一回しかないのですから(他人の
死はたくさん見るけどね)、死んだあとは誰にも検証できません。
ですから科学ではなーい。宗教とか哲学の分野だから人は自由に
好きな方を取ってもいいんだ。





ま、気質にもよるけど僕は前者を取りたいのですが、変な合理化の
プライドがどーしても後者を選ばせてしまって、全ては生きてる
うちだな、できるだけ面白く楽しく暮らしたいな!つう快楽派です。
でも、あんまし個人的な生死に係わってても詰まらんなぁ。もっと
大きなものの一環だとか思わんとやってられん、つうのも人間の
本質かもね。新陳代謝とか。細胞は死んでまた新しく元気な組織が
できる。人も死んでまた新しい社会ができる、人類がしんでまた
新しき生物が誕生できるとか。だから、死ぬってのも実は創造的な
側面もあるのかな。そうなのかな?ソーデース!