10月21日(火)抽象思考の罠


こにちはー。秋晴れ。このところずーっと晴れてて良いですね。
蜜柑の様な夕日が「印象・日の入り」みたいでとてもきれいです。





「この世界はたまたまこうなったのだ。」で何がわるいんだよー。
と思っていたら「物事にはこうでなければならぬという十分な
理由が無ければならない」という充足理由の原理を主張している
人がいた。諸君はどう思います。たまたまとか偶然とかを認めな
決定論のようにも見えますが、サイコロの出る目にも振る力や
サイコロの形とか理由があるかも知れません。ライプニッツ
少し調べてみようかな。




広がりのない点が、幅のない直線を構成し、それが面を作ると
拡がりはいったいどこから出てくるのでしょう。抽象化された
真理と事実の真理はまったく違います。数学は一種の記号言語
ですから、その言葉で喋ったことが全て真理とは限りませぬ。





最近、自己と他者、私とは何か、個人と普遍とかの不思議に
捉われてます。「張公酒を喫すれば、李公酔う」を無二一体の
ツーカーの仲と捉えれば自他を区別するミラー・ニューロン
どう働くんだろ?ミラー・ニューロンって他の人を見てると
その人の動作とか感情を自分の脳内で再現する働きをしていて、
人間の「共感する能力」の元になるらしいんだ。脳の電位や
血流量が測れるようになった比較的最近の最も大きい成果らし
いですぅ。しかしあくまでも、他者をみて自己の脳内に発する
現象ですから、自分の経験の範囲を越えれないんぢゃないか?
つまり他人の中立的な表情を見ても自分の思い込みを当て嵌め
てしまうリスクはあります。





どの道、いくら分ったつもりになっても人の心の奥底なんて
分る筈がないじゃん。自分の心の奥底だって分らん位なんだ
からね。「いや、俺は分かるぞ!」ですって?そりゃ、エライ。
僕なんか人に言われて始めて自分の本心に気がつくことが
多いですぅ。自分の中の他人とか。プ