10月13日(月)顔に自信はないけれど

こんにちは。秋晴れの清々しい一日。連休最後の日で公園は親子
連れが多かった。コスモスの上でトンボが戯れてた。




さて、今日も一日「顔」ハンティング〜。最近、顔にもゲシュタルト
崩壊を起こして、人の顔が不思議でしょうがないのですぅ。
「人間、顔ぢゃないよ。心だYO!」とは言っても、その心が無作為
に表に現れるのが「顔」だから、我らは「顔」を通して「心」を
眺めていることになる。だから心を変えれば「顔」も変わってくる
かな?それは、一部正しいように思えます。






大体、人が自分を把握するのは「顔」を通してることが多いし、
自分とは「顔」の事をいってるのは社会的にも免許証などで保証さ
れてる。それで、その自分で把握している「顔」は鏡像が多く、
社会が認めてるのは写真などの正像の「顔」であって、差が生じて
きます。これは、どちらの「顔」が好きかという実験で今の人は
みんな鏡像を選ぶらしい。ま、そのうちCCD映像を画面に映して
化粧をするようになれば変ってくるかも知れないけど。
(引用記号「」つきの顔は「心を表わした顔」という意味で使って
たけど、疲れたから今後はごちゃ混ぜに戻すべし。)







また、見る人の心が相手の顔の印象を変えてしまうこともあるから、
相手の顔も心の鏡ということも出来るです。例えば、おんなじ写真
でも「手配犯」と「ノーベル賞」ぢゃ見方がぜんぜんちがうんぢゃ
ないのかな。一方、自分の表情が相手に映り、また相手の表情で
自分の心が影響を受ける、っつうフィードバック・ループもあり
ますから、これがグルグル回って社会の関係性は構築されるという
理屈もなりたちまうすね。







で、何が言いたいのかっつうと、相手が満足すれば自分も満足でき
るというこの特性をポジティブに回そうではないか!最初はワザと
表情を作ってでもまず、顔から心を変えようではないか!と聊か
興奮気味に提案しているでやんす。そうだ、赤ちゃんはお母さんが
あやしても、他の人があやしてもケラケラ笑いますが、他の人が
いなくなるとすぐに笑いを止めてしまいます。お母さんだと2〜3
秒笑い顔が残ってるんだって。大人でもこの「残心」つうやつは
大切ですね。人と笑顔で挨拶したらその人が向こうへ行っても2秒
は微笑んでいましょう。向こうへ行った途端に真顔になったら、
誰かが見てたら恥ずかしいです。いや、誰もいなくても自分は見て
るからね。脳も顔も変りうるのなら、どうせなら笑って生きた方が
いいでしょお。けけけけけ