10月3日(金)時々、世界がこのように在るって奇跡だとおも


こんにちは。晴れ。爽やかな一日。茜色の夕焼け空にアキアカネ
飛んでいた。トンボはあまり暑いと避暑に行くから、都会も涼しく
なったということかなあ。




 今在る世界が奇跡的であるということ:
たとえば私が今こうしてここにいます。鼻糞をほじりながらPC画
面を見ている。これは私の両親がいたから。そして出会って私を作
った。両親が子供の時から事故にも合わず、他の人とも結婚せず
何億の精子の中から私のものが運よく卵子にたどり着いてわたしが
産まれた。その両親も、その親の色々な偶然を通り抜けて生まれた。




 つう連鎖をずーっと遡れます。今現在、ここに生きている全ての
生物にもこの無限連鎖が当てはまります。もちろん無生物でも今
現在、この場所に、このように存在するのは無限の可能性の連鎖の
結果です。だから今、世界がこのように存在している確率は1/∞
(無限)なのです。
 で、このような世界の実現可能性も∞(無限)個あるから、
∞/∞=1というへんてこなバランスの上に現世界は成り立って
いるっつうことだす。
なんか変だけどお袋が子供のときに事故にあったり他の人と結婚
していれば私は無かったわけですから、この理屈は成り立ちそう。






たとえば地面に1億個の升目を作って、空からその中に石を放り
込んだら、石はその中の何処かには入るでしょう。その確率100%。
しかしあるマス目にとっては、そこに石が入る確率は1/億です。
これが全てのマス目(1億個)について成り立つから、
1/億x1億=1(100%)ということになります。この1億が無限
に拡大した場合が、我らの現世界が存在する確立になる、つうのが
上で述べた理屈だす。






う〜ん、まだ分りにくいかな。でも、「この世界が現にこのように
存在してるってこと自身は奇跡的な事だけど、また当たり前の事で
もある。」という2面性はうっすらと感じる事はできるのでは?






で、何が言いたいのかっつうと、歴史の必然というものは無くって、
すべてサイコロを振ったような偶有性に依拠してるんだ!という
ことです。だから歴史を正当性の理由付けにはできないと思うの。
ただし、同じようなことは起こりがちとかいうレベルでの同じ失敗
は繰り返さない反省くらいには使えるのかもしれないですが、
当為の裏づけにはできないのれす。(反ヘーゲル的な玉虫史観)




さて、政局はどーなっとるんだろ。では。