幸福私論


こんばんは。曇りときどき晴れ。遠くにでっかい入道雲が出てたが
たぶんあの下が集中豪雨だったのだろう。ゲリラ豪雨は何処に降る
のか分らないから毎日傘を持ってでて二度ほど忘れそうになった。
ドンドン、ドスドスドスと遠雷が響き渡る夜。






 この間転んだときに脛もざっくりと割れていて消毒してガーゼを
当ててたら、なんか熱を持って腫れてきたから慌てて医者に行った
ら化膿してた。消毒なんかしないで石鹸で良く洗ったあと抗生物質
の塗り薬をつければ良いんだって。時には消毒が傷を悪化させる事
もあるとか。だいぶ良くなってきたから一安心。これでわたしも脛
に傷を持つ身になったと。プ 常識って時に非常識になる例かな?









 何がしやわせで何が不幸かなんて、ほんとに分らないものですね。
人生って物語りのように(完)がないから幸が不幸のもと、不幸が
幸のもと、という「塞翁が馬」は何処にでも見られます。



最後のジ・エンドで死ぬときの状態が最終的な幸・不幸かっつうと
そうでもない。人生の大半が幸福で最後だけちょっと不幸なひとは
幸福な人生といわれるんだろうな。最後に自分がどう思ったかかな?
信仰の有る人なら「天国に行けるんだ」と思って逝ったならしやわ
せなのでしょうね。そうじゃない人は自分がしやわせだと思えば
しやわせなのかな?でも、そのときは必死で生きててなにも考え
なかったけど、あとで思い出したら実はあのときが一番しやわせ
だったんじゃないかな?なんてこともあるから必ずしも自分が思え
ばしやわせっつうこともなかんべさ。







 得意の絶頂から不幸のドン底に落ちたホリえもんみたいな人は
沢山見たし、一見不幸そうだが実はそれが後の大成功の元だった人
も沢山見たよ。だから必死になって生きてなにも考えないか、こう
いうやたらに上下する荒波から身を引いて、醒メタ目でメタに構え
て面白いことだけやろうかい!つう二通りしかないような気もする。








 どっちかっつうと、若い人には前者をお奨めしたいですね。後者
はじじいになってからでもできますから。では。ああもう29日か。