少し哲学的な夕べ

こんばんは。快晴のち曇り。夏らしい入道雲がモックモク。
夏らしくなったら海へ行きたくなったな。真っ青な空を見ながら
プカプカと浮いているのもイイ気持ち。






主観的か科学的かは分らんけど、人に対する暖かい目って確かに
あるな。論理的か感情的かとも関係ない。その人が持つ人間に対す
る優しさみたいなもの。ポジティブな視線。そんなのを感じると
ほっとすることってありますよね。理屈ばっかり捏ねていればイイ
ってものでもない。生き方の問題かな。






「一即多、多即一」、「自即他、他即自」なんて考えていてね、
リカーシブつうかマンデルブロー集合のフラクタル図形なんて連想
した。大きな一つの全体が小さな要素から成り立っているのですが
その小さな要素も全体を含んでいるとか。無限に続くミクロコスモス。






いくら錯視錯覚、幻聴幻視があって個々の感覚なんて当てにならん
とはいうけれど、普遍的に共通した感覚やこころがなけりゃ、
コミュニケーションなんて成り立たないよね。だから僕ら個人は
普遍的な全体の一部であり、独りの人の中にも世界を包含する宇宙
が入ってるんだい!つう考えもあるよ。







一つの大きな全体は個々のたくさんの要素から構成されもすれ、
個々の多のなかには一つ一つ全体が含まれるんだい!つう感じ。
例えば、日本人つう概念のなかには1億三千万人の日本人の
総体が含まれるが、その辺の渋谷を歩いてる一人の日本人を眺めれ
ば大方の特徴はすでに含まれていて、中国人や韓国人、台湾人とは
明確に区別する事はできるよね。たとえ外見は殆ど同じでも。ま、
人種じゃなくって文化的な背景つうことかも知れないけど。
だから人類は生物学的な環境じゃなくって文化的な遺伝子が重要だ
っつうことかな。





こうして狭い自己から離れて見れば、少しは一体感、安心感が持て
るのかもしれません。現に全ての記録物、本や絵画や音楽や工芸
など全部なくしてしまえば人類なんてあっというまに原人に退行
してしまうのでしょうね。脆い!あ、ロビンソン・クルーソーなん
ているから、大人はだめですよ。赤ちゃんを生物的な遺伝子だけを
頼りに、育てたばあいの思考シミュレーションですう。






我々とは一体何物なのであろうか?いや、わたしとは何か?他人と
はなにか?永遠の課題であるから人は生きていけるのかも。すぐに
分ったら、退屈ですぐに死にそうだもんね〜。おやすみ。