人の痛みってほんとに分かるのかな。

自問しても、これは難しい。


(こんばんは。何故か重複してたから消しました。悪しからず。
僕はあまり修正しないんだけどね。)




いわゆる感覚の問題って極めて主観的だから。どれくらいかって
定量的に計る事は不可能だと思われる。主観的に1−5ランク付け
して仮の定量化は出来るのかもしれない。でも辛抱強い人の2ラン
クと敏感な人の4ランクは同じかもしれん。主観と主観を定量化し
て合計しても主観には変わりがないような気もする。






昔けっこう大きな手術をしたことがあってね、午後一番に手術室に
入って気が付いたら夜10時になっていた。でも腹筋をペンチで挟
まれたような激痛があって、看護婦さんにいくら頼んでも「我慢し
なさい、麻薬はあるけれど毒だから出来るだけ少量にしないと」と
説得されるだけ。もともと酒豪だったからアルコールで麻酔耐性が
できていたんじゃないかと今では推測している。一晩中脂汗を流し
て、ようやく空が白む頃薄っすらと痛みのレベルが下がって、まだ
指で思いっきりつねられているくらいに痛かったけれど、ようやく
全身の力を抜くことができた。でも、これも主観だからな。主観
じゃないのは一晩でゲッソリと頬がこけて体重が2kgも減った事。






人の痛みはできるだけ解かろうとは努力するけど、本当にどれ位
痛いのかは本人じゃなきゃ分からないとも思っている。ましてや
、人のこころの痛みなんて理解することが出来るのだろうか?
人のこころを推測できる、思うことができる、思いやることが
できる、って人間しかできないことと言われているけど、こころ
の痛みまで思いやることはとても難しいことだと思いつつも、
悲しそうな人をみると涙が止まらないんだよ。同情とか憐憫じゃ
ないんだけどね。特に幼い子供が身も世も無く泣き叫んでいるの
を見るのは本当につらいね。子供はいっつもケラケラと楽しそう
に笑っていなくっちゃネ。まだまだ長い苦難の道程があるのだから。




では、諸君、シニカルにもやすみなさい、また明日。いい日だよ。