人生は必然か、偶然か


こんばんは。うす晴れのち曇り夕刻から雨。梅雨前線様のものが
上に押し出された為とか。まだ五月だよー、早過ぎないか。




人間に自由意志はあるのか?と問われれば、それは確かにあるので
しょうね。でも、それが固まり、何千万とか何億とかになると判ら
ない。ある必然の法則に従っているようにも見えます。




それから、自分の外部、つまり他人のことは分からないし、そこ
からの圧迫で自分の自由意志ではなく、他動的に動いてしまう事は
多いですぅ。これは相手にとっても同じことですから、みんな
自由意志ではなく他動的に動くことは確かにあります。



こういうのが歴史の必然とかいって、個人の意志とは関係なくウゴ
ウゴとうごめく要因かもね。いくら心正しい人々が自然に適応して
ゆったりと暮らしていても、悪しき心を抱えた異民族が乱暴を働け
ば、みんな奴隷になっちゃうものね。生物の闘争原理!



だから、闘争も逃走もせずにホッペを引っ叩かせるに任せた人は
本当に自律した人だとは思うのですが、その信奉者が諸民族を奴隷
に貶めたというのも、これまた歴史的な事実。



時折、人間なんて蟻ほどにも意味が無い存在とか思うこともあるよ。
ふとした偶然で大きな足で踏み潰される存在。いつか、この大都会
のアスファルトの隙間から雑草が伸びだして繁茂し、大森林に覆い尽く
される時は来るのかな。無窮の時間のかなたで。




「俺は嘘つきだ、と俺が言った。」真か偽か?
自己言及性のパラドックス。ただし、肯定言及だと可能性は
半々になるらすい。「俺は嘘つきではなーい、と俺は言った」
もし俺が嘘つきではないとしたらこの命題は真、俺が嘘つき
だったらこの命題は偽、とちゃんと半々に分かれてパラドックス
は生じない。だからまっとうに生きようと思ったら自分を肯定的に
捉えることですね。詭弁的かな?真実も含まれてるようにも
思いますが。




ではでは、諸君お休みなさい。また明日。信じたいね。