カラスの勝手とかいかんわな

こんばんは。うす曇り、のち薄日射す穏やかな日和。




喫煙、賭け事など人生のささやかな楽しみを為政者が奪い取ると
いうのは、江戸時代の改革と同じにほいを感じさせて、僕はあまり
好きではありません。禁煙してからだいぶ経つし、煙は臭くて嫌だ
けど、それとこれとは別です。





ささやかな自由というのは、その自由がなくても生きて行けるから
蔑ろにされ易いですが、実はとても大切なことなんだと思う。
逆説的だけど、それ故にこそ為政者は規制そのものを目的化するの
です。「奢侈禁止令」なんてそれこそ物凄く細かく、まるで小姑の
ごとく、イロエロな「庶民の楽しみ」を禁止します。





庶民の衣食住や冠婚葬祭、年中行事、芝居などの娯楽等楽しみに
なりそうなものをことごとく制限します。また、破魔弓・菖蒲刀・
羽子板・雛人形キセルなどに金銀・彫り物・象嵌・蒔絵の使用を
禁止したり、衣服の生地はおろか染織の色まで制限しました。でも
庶民はそれらにメゲズ、たとえば限定された地味な色でも、
「四十八茶 百鼠」と言われるように茶色、鼠色、藍色などに何十
種類ものヴァリエーションを持たせ楽しんだそうです。ヤリマスネ






「住民が息苦しくなるような社会」は萎縮して壊れるかっつうと、
そうでもなくて、庶民は意外とシブトイとか。でもね、もともと
生物的なヒトは自然の中で伸び伸びと暮らしてたんだから、制約が
いい方向に働くっつうのは考えにくいですね。ブッシュマン
ニカウさんだってホテルの部屋に3日も滞在させられたら息が詰まっ
て、自由な砂漠に逃げ帰ったとか。現代人は自由の束縛に慣らされ
杉てるのかも。






悩ましいのは、あの人の自由がこの人の自由を阻害するほどに、
都会やネットが混み合ってることで、この辺の解は公共性とかいう
とても難しい概念に委ねられてるってことだす。お互いの良識(
コモン・センス)の問題と言ってても始まらんしなあ。だから
社会は人間関係がとても大切になってくるんだろうな。倫理と言っ
ても良いのかもしれない。中途だけど今日はこれまで。では
みなさん、自分のこころの中だけは自由闊達でいましょうね。
おやすみなさーい、またあした。