4月7日 初心というのは初々しい

曇りのち雨。少し冷えたかも。柳の新芽と伴にピッカピカの一年生が
入学式。お父さんお母さんも嬉しそう。希望とか期待という文字が浮ぶ。




散りかけた桜の木の下に蚊柱がむにょむにょと蠢いている。集まって
一つの生命みたいだ。イワシの固まりとかカモメの乱舞もそうだな。
一斉にサッと形や動きを変えるのは誰の指令でも無いのにね。不思議だ。
こういう運動神経に関しては決して大きな脳は必要ないんだな。






思想家、宗教家でも率先して社会に働きかけて改革していこうという
タイプと自らの生き方で後姿を示すタイプがあるように思う。
日本で云えば、例えば前者は日蓮さん、後者は良寛さん、とか。
あるいは松陰かキタローか。どちらが良いとかいう話ではないんですが、
個人的な好みとしては後者かな。前者の熱き血潮も捨て難いんですが。





電車の中でふと考えたこと:「表現の自由は抑止、禁止すべきであーる。
なんつう自己矛盾的な表現を除いては原則おkなんじゃないのかな?」
原則「自由」として、自由としないものを例外として挙げて行くのか、
原則「禁止」として、禁止しないものを例外として挙げて行くのか、で
現在の日本はほぼ前者だと思いますが後者の国もたくさんあります。




勿論、例外規定にも恣意的なものはたくさん入り込みますが、その都度
個別的に喧々諤々の議論になれば良いのだと諦めます。一番怖いのは、
気が付かないような抑止とか自己規制ですね。無意識だから如何とも
し難いですぅ。でも、誘導するほうは意識的かもね。ヒエぇ〜〜






さて、下手な考え休むにニタリと、片頬で笑って、休むとしましょう。
ではでは、一生懸命に生きておられる諸君の健闘に敬意を表して、
もやすみー。